
お寺の山門は城の虎口(城の出入口)があった所で、互い違いに作って敵の侵入を堰き止める「食い違い虎口」という造りになっていた。そこを出ると、今は住宅地だ。
住宅地を通って城址、つまりお寺の脇に回ると、城は小高い丘に造られていたことがわかる。丘の下に児童公園があり、その公園の脇が一段高くなって谷状となっている。つまり、城は谷の横に造られていたのだった。
谷底である公園を抜け、家と家の間の細い道を往く。少し左右に曲がっているのは川の名残りだろうか。やがて、先ほど通ってきた道路と、並行して通る横浜線の線路が現れた。先ほども見た城の名を冠したバス停がそこにあった。
(RICOH Caplio GX100)
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