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胆沢
 上野駅は北の玄関駅であった。かつての話である。東北新架線、上越新幹線、北陸新幹線が東京駅から出発するようになって、今は只の中間駅のようになってしまった。だが、ターミナル駅だった面影は、今も13番線からの地上ホームに残照のごとく漂っている。
 上野駅中央改札でTさんと待ち合わせ、地上ホームの脇にある新幹線乗り場入口に向かう。気分は地上ホームから発車する東北本線特急への乗車だ。もっとも、乗ってしまえば、あっという間に白河の関も、杜の都も過ぎ、岩手県になる。新幹線は旅情を味わう乗り物ではなく、利便性に感謝する乗り物である。
 水沢江刺駅は在来線との接続のない新幹線だけの駅で、そのためか駅の周りには町が形成されていない。構内には、1993年の大河ドラマ「炎立つ」(ほむらたつ)の出演者の手形レリーフが展示されている。
 閑散とした駅前ロータリーからタクシーに乗る。事前調査で当てにしていた東北本線水沢駅行きのバスの時刻が変更されていて、既に発車したあとだった。情報にまみれた今の時代でもこういう事があるのだ。まあ、スタートから旅らしさ満点ではある。
 タクシーに乗ったので水沢駅ではなく、目的地に直行する事にした。予定でも水沢駅からは、ちょうどバスがなくタクシー利用となっている。15分ほどで、その目的地に着いた。田圃の中に綺麗な建物が立っている。「胆沢埋蔵文化センター」という。胆沢は「いさわ」と読む。
 ここ胆沢は、かつてこの辺りの重要拠点と言える地域だった。蝦夷(エミシ)と呼ばれる縄文系先住民が東北で勢力を誇っていた。大和朝廷の構築した社会とは別の社会、つまり「別の国」が東北にあったという訳だ。
 エミシの人達は平和に自分たちの社会を築き暮らしていた。畿内からやってきた朝廷の人達とも、それなりに巧く関係を築いていたのだが、奈良時代末期、反乱が起こった。
 なぜ反乱が起きたのかは、苛政が行なわれていたからと推測されているが、とにかくエミシたちは蜂起した。そのリーダーとなった「アテルイ」という人物が、ここ胆沢の長(おさ)だったのだ。
 埋蔵文化センターの一階ロビーに、アテルイの等身大人形が立っていた。一階展示室はこの地域から出土した土器などを展示し、土地の歴史についての説明が加えられている。それを一通り見たあと、二階に上がった。二階はエミシについての説明が主である。11時30分より映画を上映するというので、貸し切り状態で席に着く。館内にいる客は私達だけなのだ。
 映画は30分間、アテルイとその盟友モレが朝廷と戦った歴史を紹介するものであった。私は小説や歴史本で、ある程度の知識を付けてきているので、その復習として見させてもらった。エミシの戦いについて詳しくない人には、とてもわかりやすい内容であったと思う。
 埋蔵文化センターを出て、近くのバス停に向かう。バス停の横に広がる草地は胆沢城の跡だ。アテルイたちが築いた砦の跡に、エミシ討伐を朝廷に命じられて東北にやってきた坂上田村麻呂が築いた城だ。
 田村麻呂が来るまでの朝廷軍はアテルイたちに苦戦を強いられていた。田村麻呂も苦戦するが、激戦の末にエミシたちは降伏を申し出た。蜂起してから三十年近い歳月が過ぎ、時代は平安時代になっていた。
 田村麻呂はアテルイとモレの力を高評価し、完成して間もない平安京、つまり都に連れていく事にした。二人の実力に見合った役職を与えてもらおう。そう考えたのだ。
 しかし、朝廷はそれを許さなかった。アテルイとモレは河内に連れていかれ(現在の大阪府枚方市の牧野と言われる)処刑されてしまう。
 現在の胆沢城跡は、その広大な敷地に往時を偲ばせてくれるのみである。バス停のポールは斜めに曲り、歩く人もほとんど居ない。だが、かつて此処で壮大な物語があった事は、永遠に語り継がれてほしく思った。
(RICOH GR)
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2018.09.24 Mon l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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