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備中高松城
 再び伯備線の旅となり、高梁川に沿う渓谷を眺めていたが、景色はやがて平野となった。私は倉敷まで行かず、総社駅で降りる。接続よく吉備線の列車がすぐに発車するようだ。
 吉備線は平野を走るローカル線で、沿線には歴史のある神社仏閣が多い。今回は備中高松駅で降りることにした。
 改札を出ると駅舎に備中高松城への道についての説明が貼られてあった。駅舎を出て右に行き、踏切を渡ってまっすぐに行く。徒歩10分ほどだ。
 備中高松城は平地に築かれたいわゆる平城という造りで、湿地を活かした構造になっていたそうだ。
 天正十年(1582)に織田信長の命令を受けて中国地方を攻めてきた羽柴秀吉の隊が、この備中高松城を攻めにやってきた。城主である清水宗治は抵抗を見せ奮闘するも、秀吉の水攻めという奇策によって湿地に建つこの城が水で溢れ、戦は終わった。
 この備中高松城での戦が終わったところで秀吉は本能寺の変の知らせを受け、急いで京の都に向かい、天王山で明智光秀と戦うことになる(山崎の戦い)。
 城址は今でも湿地であることを示すような景観だ。岡山市が蓮池という地名が残るこの地に沼を再生させたところ、自然と蓮が花を咲かせるに至ったという逸話があり、そこを城主清水宗治にちなんで宗治蓮と名付けている。
 本末跡に来ると、地元のガイドさんがツアーの人達に解説をしていた。己を貫き、秀吉軍に抗った清水宗治は地元の英雄なのだと実感した。
 備中高松駅に戻ってくると帰宅の高校生達がホームに立っていた。時計は午後三時を回っている。あとは岡山に出て、山陽本線に乗って東に向かうだけである。
 京都で途中下車して夕食にしてから、京都タワー地下にある大浴場に向かった。一風呂浴びれば、あとは大垣に向かい、大垣から夜行列車で帰ることとなる。京都から乗った新快速は帰宅ラッシュで草津まで座れなかったが、疲れなどなく、旅を振り返りながら東に向かった。
(RICOH GR)
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2018.04.10 Tue l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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