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河村城
 障子堀を見て、広い芝生のような郭を歩く。この辺りには屋敷もあったらしい。
 やがて芝生が尽きると、その先に眺望が開けた。かつては、ここから小田原を見ながら、この地を守ってきたのだろうか。北条家はだいたい四里以内の間隔で城を築き、支城ネットワークというものを形成していた。ここ河村城も、矢倉沢往還(大山街道)の監視と共に、小田原と山北の防備にあたる城であったのだろう。
 私は駅の方から来たので、本来の城の入口とは違うコースを辿っていたようだが、城の大手口はこの先にあったようだ。位置的にも、こちらの方が山北駅側よりも小田原に近い。
 帰りはその大手口を通って山を下りることを一瞬考えたが、そうすると山北駅から離れてしまう。このあと山北駅前の温泉に入る予定なので、来た道を引き返すことにした。
 天正十八(1590)年の豊臣秀吉による関東制圧、いわゆる小田原合戦では関東のいろんな城が戦場となったが、ここ河村城に於ける詳細は不明だそうだ。北条家は近代的な政治系統を築いていた武家なので、記録が豊富である。それでありながら記録がないというのは不可解であり、倒した側にもそれが残っていないのは謎だ。こういう場合は、勝者が強引な攻め、つまり残虐な手段を用いた可能性もあるが、史実の流れだと、豊臣軍がこの地を通過した時期に大きな戦があったとは考えにくいようでもある。
 色々と謎もあるが、城の遺構も程よく残り、眺望もよく、公園として整備もされている(本郭のところにトイレもある)ので、ちょっとしたハイキングで訪れる人も少なくなさそうである。山北駅から三十分もあれば頂まで登れる手頃さもおすすめ。
(SONY NEX-6 LENS:SONY SEL 16-50mm f3.5-5.6 OSS)
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2017.09.23 Sat l 足柄 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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