景徳院
 猿橋から中央本線の鈍行に乗って甲斐大和にやってきた。甲斐大和は掘割の造りになっていて、階段を上がったところに駅舎と駅前広場があります。これから路線バスに乗るのだけれど、果たしてここでいいのだろうか?と思えるほど狭い駅前広場にやってきたのはマイクロバス。車体に「武田家聖地めぐり」と書いてあります。これから向かうのは甲斐武田家最後の当主である武田勝頼公とそのご家族のお墓。バスはバス停以外の場所でも途中降車できるらしく、運転手さんが「どちらまで行かれます?」と聞いてきた。
 バスは日川渓谷の広い谷合いを登っていく。空が少しずつ晴れ間を見せ始めた。朝、出発する時は雨で天気予報も雨の予報だったので嬉しい。甲斐大和駅から4分ほどで、バスは景徳院入口バス停に到着。
 バス停のそばには川岸、そして周辺の案内板があり、周囲は桜が満開です。すぐ前にある階段を上がっていくと山門が現れました。境内にも桜。本堂には武田家の家紋「武田菱」が掲げられています。訪問の挨拶を兼ねて本堂に手を合わせます。本堂の裏は庭園があるようです。
 本堂の右手に甲将澱という建物があり、その左手に、武田勝頼、北条夫人(桂林院殿)、武田信勝、のお墓があります。最近供えられたと思われる綺麗な花もあり、その中には地元の中学校の名前でお供えされた花もりました。地元の方々に大切にされているのが伝わります。神妙な気持ちでお墓に手を合わせました。
 お墓参りをして、三人それぞれが自害した時の石を見て回り、本堂の前に戻りました。同行者のTさんが庭園を見てみたいというので本堂の裏手に回ると、そこには小規模ながら池もある庭園がありました。そこで池を眺めていると、なんだか心が安らぐ気分になります。Tさんがぽつりと「私、このお寺好き」とつぶやきました。
 道路まで下りる道は山門のほうではなく脇から下りました。そこにはお地蔵さんがあります。そこに三人の享年が書かれてありました。勝頼公三十七、北条夫人十九、信勝公十六。息子とお母さんの年齢が近いことについてTさんに聞かれたので説明しました(信勝公は勝頼公の最初の正室の子。その正室は織田家家臣の遠山家の娘)。
 三人はとても仲の良い家族だったと伝わります。家族三人で一緒にくつろぐ姿の肖像画もあり、これは戦国武将の肖像画としては珍しい描かれかただそうです。
 天正十年(1582年)に織田・徳川連合軍の甲斐信濃侵攻で武田家は追い詰められ、武田家の新たな本拠として韮崎に建造中であった新府城を破却、武田勝頼勢は僅かな戦力でこの地にやってきて最後の一戦を行なったのでした。北条夫人は生まれ故郷であり北条家の本拠である小田原に帰るよう説得を受けますが、最後まで武田家当主の夫人として皆と共に残り、その生涯を終えたのであります。
 旅の前に武田勝頼公を主人公として、その最後の数年を描いた小説を読んでいた私は、駅までの道を歩きながら、四百年以上前の甲斐国の動乱を思い、今の平和を噛みしめました。
景徳院について詳しく紹介sしているサイトです。(URL)
(KONICA MINOLTA α Sweet DIGITAL LENS:SONY DT 18-55mm F3.5-5.6 SAM)
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2016.04.27 Wed l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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