太平寺跡
 来迎寺に入る石段の脇に太平寺跡を示す石碑があった。太平寺はかつて鎌倉尼五山第一位としてこの西御門に建っていた尼寺である。
 私がこの太平寺について知ったのは、昨年の夏頃読んだ伊東潤さんの歴史小説「戦国鎌倉悲譚 剋 (講談社文庫)」がきっかけだった。この小説は玉縄北条家を描いた小説で、舞台は玉縄城と鎌倉の町。主人公は玉縄北条家第五代当主である北条氏舜。氏舜は「うじとし」と読む。その氏舜が、北条家と安房の里見家との同盟の証人として相模にやってきた北鎌倉の東慶寺の青蓮尼と、色々な苦難を越えつつ心を通わせていく物語である。その青蓮尼の母が青岳尼という太平寺の住職であった。
 太平寺は源頼朝が自分を助けてくれた尼僧の姪の願い受けて建立したという説もあり、のちに代々足利家の者が住職を務めた。青岳尼もその一人である。しかし、弘治元年(1556年)に安房の里見義弘が三浦半島から相模に上陸、鎌倉の町に侵攻して太平寺から本尊の木造聖観音菩薩立像(のちに東慶寺の要山尼が里見家と交渉して取り戻す)と青岳尼をさらってしまった。青岳尼は里見義弘の許嫁であったとも言われる。
 青岳尼は安房では還俗し里見義弘の正室となっており、どうやら里見家で幸せに暮らしたようなのだが、太平寺はその後、当時の小田原北条家当主であった北条氏康によって廃寺となる。本尊と住職を交戦相手の里見家に奪われたことが、氏康の怒りを買ったことを示す文書も残っているそうである。
 現在、太平寺の本尊は東慶寺に、本尊を安置していた仏殿は円覚寺に移築されて残っているそうである。こちらも機会をみて訪れたい。ちなみに、太平寺のあった場所は、この石碑の近くにあるテニスコートがその跡地だと言われる。
(FUJI FILM X100)
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2016.02.24 Wed l 鎌倉 l コメント (2) トラックバック (0) l top

コメント

No title
荏柄天神社からずっと拝見しました。
鎌倉は平日でも混雑していますね。
特に近頃は歴女とかいう歴史にまつわるところを巡る人たちがとても多くなっているそうです。
良いことではありますが。。。(笑)
やぐも、と、やくも、、、
知りませんでした。
一つ覚えました。
続き楽しみにしています。
2016.02.24 Wed l aunt carrot. URL l 編集
No title
コメントありがとうございます。

平日でも駅のまわりのお店は混雑してました。今回訪れたところは、本物の(?)歴史好き男女しか居ないようで、それほど混んでなく、鎌倉はまだまだ穴場があるものだと思った次第です。
八雲神社の件は自分も今回知りました。現地では「やくも」だと思って参拝しました。
2016.02.28 Sun l アルファ. URL l 編集

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