山中城
 また城址巡りか!と言われそうだけれど、先日友人と青春18きっぷを使って静岡県のふたつの城址を巡ってきたのでその話を。

 東海道本線に乗ってやってきたのは三島駅。週間天気予報では日曜のほうが天気が良かったはずが、いざ当日となってみれば前日の土曜のほうが天気が良く、この日は雨まじりの天気。折り畳み傘を片手に路線バスに乗り込む。バスの行き先は「元箱根」。バスは三島市内をぐるりと回り三嶋大社の前を通ったりしてから、雨の国道1号線を登っていく。
 三島駅から28分、610円で山中城址に到着。城は東海道を跨ぐ関所のような造りで築城されたので、現在も国道1号線の両脇に城址がある。よってバス停を降りるとすぐである。
 雨は三島駅付近より少し弱まったけれど、小雨が続く。傘をさしてカメラを首から提げながら歩く。標高が高いためか霧が濃くなってきた。ここは県境にほど近い場所で、その県境を越えると箱根であり、芦ノ湖である。
 国道の両脇に城址があるのでどちらから回るかだが、私は岱崎(たいざき)出丸のある南側から回ることにした。天正18年(1590年)の小田原合戦で、北条家の討伐を目的に関東にやってきた豊臣軍は最初の戦いを東海道沿道にあるこの山中城で仕掛けた。山中城に援軍として入っていた鎌倉の玉縄城の部隊のうち、城の普請を行ない構造に長けていた間宮康俊は僅か百数名の兵を率い、この岱崎出丸で豊臣軍の最初の攻撃を受けて立った。
 当時73歳でありながら勇敢に戦った間宮康俊のこと。間宮家は現在の横浜の南部あたりを領地としていて、子孫に間宮海峡の名前の由来になった間宮林蔵、横浜の杉田にあった間宮家には解体新書で知られる杉田玄白がいることなどを友人に解説する。
 霧に包まれた山中城の岱崎出丸跡には、北条家の築城技術の粋を結集して造られている畝堀(うねぼり)が、静かにその姿を現している。
(FUJI FILM X100)
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2015.12.26 Sat l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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