玉縄城址
 七曲坂を登りきると大手門跡がある。その跡地の上にそびえる丘は現在女子校になっている。そのため裏門によって仕切られていて立入禁止となっている。しかし、その裏門には、かつての大手門のイメージイラストと説明版が建っていて、それと見比べることで現在の風景に往時の風景を重ねてみることが出来る。
 学校のある場所がかつての本丸跡で、この門の上はテニスコートがあるそうである。そこに向かって丘を巻くように坂道が右方向に伸びていたのがかつての大手道ということになる。
 女子校ということで警備は城のごとく固いと思われるけれど、事前に学校に見学希望を申し出て許可を取れば学校の休校日に限り城址の遺構の見学が出来るそうで、本丸跡に鎮座するこの学校はある意味史跡を守っている存在と言えなくもない。そう思いたくなるのは、見学を許可しているからだけでなく、付近のあまりの開発ぶりに驚いたからである。龍寶寺がある麓から眺めた感じでは普通の山に見えたが、こうして上に上がってみると一戸建て住宅が密集しているのだった。それも割と新しめの家も少なくなく、おそらくバブルくらいの頃から急速に開発が進行したのだろう。
 そういうわけで、大手門跡からは住宅街の道である。玉縄城は北条家にとって鎌倉を守るための重要な城であったため大変広い城であったようで、その面影を偲びながら住宅街を歩く。本丸跡のまわりの坂をいくつか行ったり来たりしたあと、陣屋坂を下りて城址探訪は終了。大船フラワーセンターの前を通って大船駅に向かう。
 途中、戦国時代の戦没者を弔った塚があったので手を合わせる。1526年(大永六年)に安房の里見軍が三浦半島から上陸して北条軍と戦になった時に亡くなった人たちを供養した塚で、六地蔵とも呼ばれている。駅前を包む空はだいぶ夕方の色になってきていた。
(PENTAX K-01 LENS:smc PENTAX DA21mm F3.2 Limited)
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2015.11.25 Wed l 鎌倉 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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