小机城址
 空堀の上に架かる土橋の上で写真を撮っていたら後ろから声が聞こえてきた。振り返ると女性三人が雑談をしている。そして、空堀を背景に自撮りを始めた。数年前からの戦国人気で女性の歴史好きが急増したという話は聞くし、実際に城に行くと女性の姿も結構多い。でも、戦国好き女子の傾向を見ていると北条家というか関東武士は残念ながら人気今ひとつに思える。
 しかし、私には何となく見当がついていた。違っているかもしれないが、彼女たちが小机城址に来た理由は私のそれと大体同じなのだ。彼女たちが単なるちょっとした散歩で来たのではないとすればだが。
 小机城は北条家が整備してからは小机衆と呼ばれた人々が城兵として用意された。城主は小田原の北条家からやってきて、それは天正18年(1590年)に小田原城が開城するまで続いた。小机城城主についての史料とその解釈は近年まで謎な部分もあったが、だいぶ解明されてきたようだ。小田原北条家第三代当主北条氏康の子である三郎も僅かな期間(二ヶ月らしい)小机城城主となっている。三郎が僅かな期間しか城主を務めなかった理由は、城主となってすぐに上杉家との同盟の人質(証人)として越後に行ってしまったからである。
 三郎は越後に来てすぐに上杉謙信の養子になり、謙信の若き頃の名である景虎の名をいただき上杉景虎と名乗った。そう、この女性たちはおそらく三郎のファンではないかと予想する。私も「あの三郎殿が城主を務めた城」を見たくてやってきたのである。
 三郎、というか上杉景虎はとある人気小説に登場し、その小説のファンの人達が聖地巡りをしていることは少し検索すると発見できる。
 どういう形であれ、歴史の中の人を尊敬の気持ちで想い、ゆかりの地を訪れるのはいい事ではないかと思っている。私もこうして歴史人に想いを寄せながら城址にやってきて感慨に更けている。道は空堀の先の冠木門に続いている。その向こうは本丸跡である。400年以上前に歴代の城主や城代がこの道を歩いたのである。
(KONICA KD-310Z)
スポンサーサイト
2015.11.10 Tue l 川崎北部・横浜港北 l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://seasonz.blog18.fc2.com/tb.php/1219-287bba96
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)