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福岡城
 田川後藤寺から後藤寺線に乗って新飯塚に向かう。沿線風景は山並みである事は変わらないが、セメント工場があったらり削られた山肌があったりして、どこか殺風景でもある。
 新飯塚からは篠栗線の博多行きに乗る。旧炭鉱地帯のはずれの農村から、トンネルを超えて都市近郊へ景色が変わっていく。ローカル線気分は消え去った。
 地下鉄博多駅のコインロッカーに荷物をしまい、地下鉄で天神に向かう。天神に行くのは久しぶりだ。福岡市随一の繁華街。照明を落とした洒落た佇まいの地下街を10分程歩いて、地下鉄七隈線の天神南駅に着いた。
 七隈線は郊外に向かって延びている路線で、夕方のこの時間の下り列車は空いている。私はぼんやりと走り去る駅名たちを眺めながら終点の橋本に運ばれた。九州の鉄道全線を遂に乗り終わった瞬間である。
 橋本駅は小さなバスターミナルがあり、その向こうに大きなショッピングモールがあった。町の先に山々が見える。
 橋本から折り返し、天神南より少し手前の六本松で降りる。帰りの上り電車は大学生で混み始めた。福岡県だけでなく、九州一円から集まっている若者なのだろう。福岡市の活力が感じられる。ふと、別府の高校生たちを思い起こした。
 六本松駅から徒歩20分で福岡城に着く。この辺りは都市だから車の往来も多く、歩いているだけでも疲れたが、公園となっている福岡城は静寂に包まれていて、都会の中のオアシスのような空間となっている。
 石垣が大きい。そして、いくつもある。何か建物が築かれていた場所には石垣が施されていたようだ。点在する石垣群がどこか遺跡めいて見えるのは、福岡県の古代からの歴史がこの地にも息づいているからだろう。
 公園を縦断する感じで抜け、地下鉄大濠公園駅に着いた。時間はまだあるのだが暑さで疲れて電車に乗る。
 博多駅で一旦降りてコインロッカーにしまった荷物を回収して、地下鉄の終点福岡空港駅に向かう。博多駅からすぐである。
 飛行機のフライト時刻まで二時間ほどあるので、空港内を見学する。初めて来た訳ではないが、じっくり歩くのは初めてだ。博多ラーメン横丁なる一角もある。なかなか楽しい空港だ。美味しそうなうどん屋を見つけたので、そこで夕食とした。
 こうして三泊四日の九州旅は終了を迎えた。缶ビールを買ってベンチに佇みながら、旅を振り返る。東園駅と大村湾。女性客が多かった(Jリーグの調査でも長崎は女性比率が一番高いと後で知る)諫早のスタジアム。雨の島原城。引退間近のトーレスのゴールが観られた鳥栖。北九州の街を一望できた皿倉山。昭和の遊園地別府ラクテンチ。山間の集落中山香。おばあさんが一人で店に出ていた中津と中津城。繁栄の残像が侘しい田川。そして、先ほど歩いた福岡城。
 九州は様々な文化と歴史の詰まった地域である。各県ごとに個性が色濃く違い、訪れる者を驚かせ、楽しませてくれる。もっと旅をしていたいと思いながら、私は出発ロビーに向かった。
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2019.07.31 Wed l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
田川
 旅の四日目は中津城の見学から始まった。ホテルに帰ってから支度をして、中津駅から小倉方面に向かう。最初に降りた駅は行橋。ここはもう福岡県である。
 行橋からは第三セクターの平成筑豊鉄道に乗る。車内はロングシートだが、クリーム色の車体にはゆるキャラが色々と描かれていて明るい車両である。沿線は農村地帯で、炭鉱の多かった地方の印象とは異なり、緑の山々を見ながら走る。
 途中の無人駅から乗ってきたおばさんが「十何年ぶりに乗ったから乗り方がわからない」と運転士に告げる。ワンマン運転なので乗車時に整理券を取る必要があるのだ。普段乗らない人にはわかりにくいことだろう。
 行橋から一時間ほどで田川伊田に着いた。ここで下車する。田川市の散歩が今日の午前中の予定である。
 田川伊田駅は改築されて三階建ての洋館のような大きな駅となっていた。ホームは国鉄時代の面影を残す古びた屋根と柱の、決して大きな駅ではないのだが、駅舎はせめて明るく大きくといったところだろう。
 駅前の脇からアーケードが延びている。歩いている人は少ない。開いている店も少ない。それでも少しでも明るい通りにしようという事で、休憩ベンチや地元の解説など、飾り付けは随所に行なわれている。
 アーケードの端まで行って、駅まで折り返す。帰りは並行する外の道を歩いた。次の列車まで少し時間があるので、伊田の町を訪問した事の挨拶をするため、駅前にある風治八幡宮を参拝して御朱印をいただいた。
 田川伊田からJRの日田彦山線に乗って一駅の田川後藤寺で降りる。ここも駅前にアーケードがある。
 駅舎は白い小さなもの。小さな駅前広場は傾斜がついていて、駅から町に向かって下り勾配となっている。
 アーケードは伊田と同じような現況だった。違いがあるとすれば、後藤寺は道の先に高校があるためか、女子高生と何人もすれ違ったことだ。その分だけ華やかさは増すが、彼女たちが遊んで過ごせるような場所はない。
 アーケードの端まで行ってから駅前に引き返し、食堂に入って焼きそばを食べた。元気のいい店のおばさんと客。店内の使い込まれた佇まいはまさに昭和だった。それを求めて入店する私のような者がいる。
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2019.07.29 Mon l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
中津
 夜の中津は雨だった。予約したホテルは駅のすぐそばだったので支障はない。チェックイン後、傘を持って食事に行く。
 駅前に古びたアーケードがあり、そこに飲み屋が集まっている。ここで選ぶことに決めた。一軒の寿司屋が気になった。中津は海の町である。入ってみるとおばあさんが一人だった。板前が休みなのだろう。今日は月曜日だ。
 はも天丼を頼むと、おばあさんが奥の厨房に入り自ら作ってくれた。天ぷらも漬物も味噌汁も何もかもが素朴な田舎の味。そんな気がした。
 壁に城の写真が飾ってある。おばあさんと中津城の話をした。「小さな城」と謙遜する。城下町に住んでいない者にとっては、城、それも城好きには知られた城が地元にあるという事は素晴らしく羨ましい事である。
 翌日、簡単に身支度だけして散歩に出た。中津駅から中津城までは徒歩20分くらいと見越して歩き始めた。
 中津駅は降りたことがあるが、町を歩くのは今回が初めてだ。道はやがて細くなり、城に向かって左折すると、古い家並みが並ぶ通りが現れた。
 中津城は川のすぐそばに天守が立っている。川が天然の水堀の役目を果たしているのだ。石垣は戦国時代のものと江戸時代のものが混在しているらしい。確かにこじんまりとした天守だが、いい風貌だ。周囲を囲む水堀が情緒ある。
 天守の近くに中津神社がある。参拝して、更に奥に向かう。そこが私の目的地だ。城井神社。城井(きい)宇都宮家という鎌倉時代から豊前国を所領としてきた武家を祀る神社である。
 宇都宮家とは、現在の栃木県の宇都宮あたりを所領としてきた名門武家宇都宮家のことである。実は九州にも親戚がいたという訳だ。
 その城井宇都宮家は、豊臣秀吉の九州征伐によって、四国の今治に転封されることとなった。だが、それを拒み、新たに豊前の主家となった黒田家と戦を起こした。
 戦に勝利した城井宇都宮家だったが、黒田家の謀略によって滅ぼされてしまう。和睦を呼びかけ、中津城に呼び出された城井家の人々と家臣が騙し討ちにあったのだ。
 その後、たたりを恐れた人々によって城井神社が造られたという。善政を行ない、庶民に慕われたという名門武家に敬意を表して祀ったのだ。そういう理由もあると思いたい。私はこの一連の話を高橋直樹さんの短編小説で知ったので、その旨を挨拶に沿えて手を合わせた。
 城井神社を出ると雨が降ってきた。傘を持ってこなかった。足早にホテルに向かう。行きとは違う道を選び、ひたすら駅に向かっているうちに、昨夜歩いたアーケードに着いた。朝なのでひっそりとして歩く人も居ない。そこに猫が佇んでいる。猫はじゃれてきて、遊んでいるうちに、遂には一緒に歩き始めた。名残惜しく声を掛けて駅前に向かう。昨夜入った寿司屋はもうシャッターが開いて今日の準備を始めていた。
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2019.07.28 Sun l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
豊後豊岡・中山香
 別府から中津に戻る。ただし、豊後国から豊前国の境を越えて走る普通列車は少なく、一時間半ほど待たなくてはならない。その時間を利用して温泉にでもと思うが、過去に別府の共同浴場にはいくつか入っているので、未訪の地を選択した。
 ホームは帰宅の高校生で賑わっている。電車の中で飲みますと宣言した地酒はしまったままだ。やってきた亀川行きに乗り込んだ。
 亀川は二つめの駅で、海沿いにある駅だが、真新しい橋上駅舎に改築されており旅情に乏しい。しかし、構内通路に展示された往時の亀川の写真を見ると、ここは古くから温泉地であったことがわかる。海岸沿いの温泉とは旅情を感じ始めたが、目的地があるので今回は諦めた。
 次にやってきた電車は日出行きだ。私は手前の豊後豊岡駅で降りた。別府に向かう途中、駅舎を目にして降りてみたくなったのだ。古い木造駅舎である。
 一応、駅の裏は海岸なようだが、そこに出る道が大回りなので途中で引き返す。亀川は別府の郊外の町という感じだったが、この辺りまで来ると農村の風情が漂ってくる。降りた高校生も少ない。
 駅に戻った私は駅舎を眺めたあと、ホームのベンチで地酒を取り出した。夕方の潮風が心地いい。誰もいないホームで酒を飲んだ。やがて次の電車がやってくる頃、一人女子高生がやってきて私の傍で電車を待つ。地酒をしまい、中山香行きの電車に乗り込んだ。
 中山香は低い山間に小さく開けた集落だった。人の名前みたいな駅名は、山香(やまが)という町の中ほどにあるので、そういう駅名が付いたようだ。その中山香で高校生たちを降ろし、僅かな乗客を乗せ、電車は別府大分方面に折り返していく。
 駅前に小さな駅前通りが横切っている。随分と古めかしい商店が並んでいるが、多くは廃墟だった。駅前旅館の跡まである。そんな昭和の残像みたいな道を高校生たちが歩いていく。
 所在なげに散歩していたおじさんに声を掛けられ、少しばかり中山香の話を聞いた。昔、火事があって町が焼けたことなどを教えてくれた。
 駅に戻ると、黒と白の猫が佇んでいた。猫はこちらの存在を認識すると近づいてきて戯れ始めた。日はだいぶ傾き始めた。中山香は県境のような静かな空気を漂わせながら、低い山並みに太陽を隠していく。
 名残りを惜しみながら猫と別れ、待合室で地酒の残りを飲みながら電車を待つ。ここから中津に向かう人は少ないのだろう。物音のしない駅で酒を空けた。
 やってきた中津行きは想像とは違い混んでいた。別府から長い距離をかけて帰路に就く高校生や大学生を乗せて、電車は日の沈んだ農村を快走した。
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2019.07.24 Wed l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ラクテンチ
 八幡から小倉に向かい、小倉駅の構内で昼食のパンを買う。乗換時間はあまりなく、急いで日豊本線のホームに向かう。これから大分県に行くのだ。
 私の乗った電車は中津行き。今夜の宿も中津なので、一旦中津駅のコインロッカーに荷物を預けて、大分行きの電車に乗った。
 中津からはローカル線の雰囲気である。電車も二両。旧国名で言うと、豊前国から豊後国へ行くことになる。県境ではないが、この国境はそれほど往来がないのだろう。乗客は少ない。さして高くない山の麓に広がる農村を抜け、電車は海沿いの町別府に着いた。
 別府に来るのは久しぶりである。前回来た時は泊まっていったが、今日は数時間の滞在で帰ることになる。温泉で知られる町を慌ただしく去るのは勿体ないが、限られた時間の中で目的を果たすためには仕方がない。せめて行動くらいはゆっくり気ままに行こうと思う。
 別府駅から山の方に向かって歩く。タクシーを考えていたが、ゆっくり町を歩きたくなったのだ。目的地までは歩いても20分程度だ。町並みが遠ざかり、細い道の両側に並ぶ家や店の先に山が見える。その手前に不思議な建物が見えてくると到着だ。
 ここは「ラクテンチ」という遊園地である。なぜ一人でこのような場所に来たのかというと、ケーブルカーに乗るためだ。ケーブルカーは遊園地に行くための足となっている。遊園地は山の上にあるのだ。
 知ってはいたのだが、「ケーブルカーに乗りに来たのですが」と前置きして切符を購入する。ケーブルカーに乗るためだけであろうと、切符は入園料込みの1300円となっている。
 次の便は15時ちょうどだという。20分間隔で走っているが、遊園地の営業時間と合わせているため、17時で終電となる。
 車両は意外に古いもので、飾り気のないものであるが、それが好ましい。ただし、まもなく新しいかわいい車両と置き換えになるという案内放送があった。
 こんな時間に遊園地に向かう人が居る筈もなく、乗客は一人。案内のために女性係員が一人乗務し、私のために放送をする。
 駅を出たすぐの所に稲荷神社の社があった。この地の守り神と説明書きがある。遊園地訪問の挨拶をするために参拝した。
 一人で遊園地を歩いても仕方がないので、一本見送り、その次の便で帰るつもりだったが、案内図を見ると温泉と足湯があることがわかり、そこに向かう。
 温泉は16時まで、最終入場15時だったので入れなかったが、足湯に浸かることができた。山の上の遊園地だから自然に溢れていて気分はいい。のんびりくつろいでいると、温泉上がりの中年夫婦の奥さまからキャンデーを頂いた。
 それにしても、園内は昭和レトロである。アトラクションも売店も、すべてが古い。これは実は面白い遊園地なのではないか。今日はもう帰るが、もう少し早い時間に来て、温泉に入り、もう少し遊園地を堪能してもよかったと悔やんだ。名残り惜しく、駅のそばにある展望スペースから別府の町と海を眺める。いい眺めだ。
 いい眺めの手前に輪を立てた棒がある。その輪を狙って小さな陶器を投げる趣旨のものだ。棒の下に円が書いてあり、その中に落ちると「二人の愛は最高」なのだそうだ。眺めてみると、ほとんどが円の外に落ちている。これが現実というものであろう。
 16時ちょうどの便で帰る。車内は遊園地帰りの人が若干名。子供連れも居たので、案内係の女性が子供向けのクイズを出題した。もちろん貸切状態だった行きの便ではなかったものである。
 帰りは建物の前からバスに乗るつもりだったが、さほど暑くもないので駅まで歩くことにした。行きと少し違うルートにしたら、日報本線のガード下に小さな市場があることを発見した。こういう発見も徒歩ならではである。
 駅の売店で大分の地酒を買った。「よく冷えてますよ」と言う店のお姉さんの言葉に「では、このあと電車の中で味わいます」と答えた。別府、いい町である。
(iPhone5)
2019.07.22 Mon l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
皿倉山
 三日目の朝は曇りだった。前夜、ニュースの天気予報を入念にチェックして「計画変更」も覚悟しながら朝を迎えた。九州は大雨であった。スタジアムから旅館までの約15分ほどの道程で傘があってもびしょ濡れになったのだ。
 雨は上がっていたが天気予報では警戒を呼び掛けている。検討の末、行けるだけ行ってみようと博多方面に向かった。雨は南九州が強いらしい。今日は午後に大分県に入る予定だが、雨が強くなってきたら宿泊予定地の中津に留まろうと思う。
 駅は通勤通学者で賑わっていた。なんとか席に座ることは出来た。ところが、博多に近づくほどに空は明るくなり、博多を過ぎても雨の心配はなさそうな空模様であった。私は予定通り、北九州市の八幡駅で下車した。
 八幡は製鉄で栄えた町である。だが、駅の正面には山並みが迫っている。北九州というと海のイメージだが山も多い。
 私はタクシーに乗り込んだ。運転手とは天気の話題となり、雨だったら予定が変わるところだったと安堵している心境を告げた。今回の旅の目的のひとつが「九州の鉄道の完乗」である。残りは三路線。そのひとつをこれから乗る。
 駅からタクシーで5分ほど。山の中腹に駅はあった。ここからケーブルカーに乗って皿倉山の山上を目指す。次の便は10時発だ。1200円の往復券を買う。これはケーブルカーとスロープカーがセットになった乗車券である。
 ケーブルカーは登っていくほに北九州市の街並みを見下ろしていく。関門海峡まで見える。つまり本州も見えるのだ。絶景である。夜景はさぞや綺麗なことだろう。
 山上駅でスロープカーに乗り換える。ここにも展望台はあるのだが、スロープカーはその上の展望台駅に向かっている。展望台駅はレストランなどもあるそうだ。
 九州の鉄道の乗りつぶしにスロープカーはカウントされないのだが、一応レールに沿って走る乗り物であるし、どんなものか体験したかった。以前はこの区間はリフトだったそうだ。乗客は私だけという状態で発車した。
 一本のレールの上を走るためか速度はゆっくりである。ごとごとと細かい振動と音がするが乗り心地は良い。鉄道とは違った乗り味があって非常に面白い乗り物だ。あっという間に展望台駅に着く。私はこの乗り物に乗るために此処に来たのだという気分になっている。
 名残り惜しく降りると、そこには広大な街の景色が広がっていた。ケーブルカーが造られたほどなのだ。この景色を観に来る人が多いという事だ。納得の長めである。
 さて、一人で展望台に長く居ても仕方がない。しかも風が肌寒い。30分弱で私は山を下りる便に乗り込んだ。
 帰りはタクシーではなくバスに乗るつもりである。週末だと八幡駅とケーブル駅を結ぶシャトルバスが走っているのだが、今日は平日だ。山を少し下りた住宅地にバス停がある事は調べ済みである。そこに向かって歩き始めた。
 しかし、どうやら道を間違えたらしい。途中で高速道路と交差する箇所があるのだが、私は陸橋で越えた。本来は下をくぐる筈である。引き返す時間はない。もうバスの時間が迫っている。ある程度の当たりをつけて住宅地を歩く。
 だが、バス停には辿り着けなかった。このまま八幡駅まで歩くこととする。歩いても20分くらいの距離だ。しかも、帰りは下り道なのだ。坂を下っていく。タクシーから見た景色とは微妙に違う。
 街の下まで下りるとバス停があった。人を見つけて道を尋ね、少し大回りではあったが八幡駅に着いた。しかも、予定していた電車にも間に合った。ケーブル駅からだと30分ほど歩いた計算となった。山上では寒いと感じた筈なのに、あまりの暑さにオロナミンCを一気に飲んだ。
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2019.07.20 Sat l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
鳥栖
 午後は諫早から佐賀県の鳥栖に向かう。予定では列車の接続の関係で大村線と佐世保線を使って大回りして行く事になっていたが、予定より早く諫早に帰ってきたので長崎本線で行くことにした。
 列車の時間までまだ少しある。それで、長崎まで行って長崎から鳥栖行きに乗ることにした。諫早よりも長崎に出た方が食事できる店が多いからだ。雨で肌寒い感じもあるのでうどんが食べたい。
 長崎駅は新幹線の工事がたけなわだった。駅の手前のサッカースタジアム予定地も確認し、行き止まり式の終着駅長崎に着く。
 駅構内にはうどん屋はなく、駅ビルに入る。駅前に出てもいいかなと思い始めた時、スコールのような雨が降ってきて外に出るのは断念する。
 結局、駅構内の手作りパン屋でパンを買った。美味しかったので、これでよかったのだが雨が心配だ。混んでいた長崎行きとは逆に空いている昼の鳥栖行きに乗り込み、長崎本線を東に向かう。
 長崎本線は特急が頻発する幹線だが、佐賀県との県境付近は人口も少なく、普通列車の本数も少ない。私も今まで特急しか乗ったことがない区間だった。空いている普通列車でのんびりと車窓を眺めるのは楽しい。
 特急では見過ごしてしまいそうな風景がそこにある。干潟の海の横に設けられた小さなホームの駅に女子高生が一人降りていく。蟹の看板を掲げた店が湾曲する入り江の脇に立っている。ミカン畑の農村にぽつりと立つ無人駅。
 海側の席に座りながら存分に景色を眺めているうちに電車は佐賀県に入り、乗客が少しずつ増えてくると佐賀駅に着いた。
 まっすぐ鳥栖に向かっても早過ぎるので、佐賀で途中下車してみることにした。佐賀は城下町だ。一度泊まったことがあるのだが、夜にサッカーを観に行ったので街歩きはさほどしなかった。
 ところが、駅前に出てみると雨模様だった。キャリーケースを引きずって傘をさして行く気分ではなく、結局駅の周りを見て終わる。
 ホームに戻ると長崎本線の特急かもめ号がやってきた。サガン鳥栖ラッピングの車両だ。一度生で見てみたいと思っていたので嬉しい。ホームにはこれから試合に行く人がちらほら居るので、皆も注目している。
 佐賀からの電車は割と混んでいた。ドアの前に立って景色を眺める。サガン鳥栖のグッズを身に付けた人も多い。
 鳥栖駅は小雨だった。駅はサガン鳥栖の旗がなびき、諫早駅と同じようにアウェイサポーターの歓迎メッセージが貼られ、構内にはグッズショップもあり、駅前通りには応援ペナントがなびいている。
 予約した旅館は駅から少し歩く。予定より早く着いたので部屋で少し休んでから出発した。
 雨は次第に強くなっている。長崎の雨前線がこちらに移動してきたのかもしれない。スタジアムの前のグッズテントでタオルマフラーを買う。チームカラーのライトブルーとピンクがかわいい。
 一階席は諦め二階に回る。屋根が架からない前方以外はだいぶ埋まっている。一番上の席に座った。柱が邪魔だし、後ろから時折風に乗った雨粒が吹きこんでくるが仕方がない。だが、全体の客入りはよくない。収容力の四割ほどの入りだ。メインスタンドの上や、屋根がないゴール裏二階席は空いている。
 私は元スペイン代表のエースであるフェルナンド・トーレスのファンなので彼が出場することを願っていたが、なんと先発であった。試合前のウォーミングアップで彼へのチャントをサポーターが歌い始める。先日引退発表をしたからだ。
 試合は打ち合いとなった。しかも、トーレスが2ゴール。なんと良い日に来たのだと私は胸が熱くなり、雨による寒さを忘れて楽しんだ。試合もサガン鳥栖の勝利となった。鳥栖のスタジアムはいつ来ても温かい雰囲気が心地いい。外に出ると大雨になっていたが、私は気分よく旅館に向かった。
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2019.07.17 Wed l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
島原
 二日目の朝は昨夜の延長で雨だった。駅まで傘を差して歩き、島原鉄道のホームに向かう。切符は昨夜コンビニに向かう際にJRのみどりの窓口で購入してある。「旅名人の九州満喫きっぷ」という切符だ。JRだけでなく私鉄も地下鉄も市電も第三セクターも、九州の鉄道全線が三日分乗れる切符で、お値段10800円。特急に乗る時は別途特急券を購入する仕組み。
 諫早を出る下り列車は空いていた。日曜の七時頃に走る列車なのだから仕方がない。私の近くには女性が一人座っている。手荷物は小さく、地元の人だろう。私は海が見える左側の関に座った。もちろんクロスシートである。
 女性は愛野という綺麗な駅名の駅で降りていった。農村といった風情だ。この辺りから海岸に沿って走り始める。線路が海岸すれすれの区間もあり、眺めは良い。曇った雨空の海の長めも味があるものだ。
 島原に着いた。相変わらず雨だ。諫早よりも強い振り方をしている。コインロッカーに荷物をしまい、折り畳み傘を手に思案する。
 当初の予定ではバスで南に向かい、原城跡に向かうつもりだった。島原の乱の舞台となった城だ。天草四郎の名はこの乱と共によく知られるところだろう。しかし、雨が強いので断念することにした。原城は土の城だ。雨の日に訪れるよりも、天気のいい日に訪れたい。
 こうして、当初は昼食の合間にでも見ようと考えていた島原城に行くことにした。駅から城は見える。雨でも行くことに無理がない場所だ。
 島原城は町中に築かれた城だが、城のある辺りは少し高い場所にある。そして、水堀が大きく、その先にそびえる石垣も立派だ。想像していたよりもずっと大きい城だった。昼食の合間に歩く規模ではない。
 堀に沿って半周して、島原商業高校の先で住宅地に入る。その先で左折すると、やがて武家屋敷跡だ。
 武家屋敷は用水路を挟んだ小路に設けられており、一部が現存して見学可能になっている。見学できる屋敷を一軒ずつ見ていく。説明版によると、各武士に与えられた屋敷の広さは統一されていたようだ。今でも建っている家の規模が同じくらいである。ただ、残っている家の多くは改築しており、今風の家の姿と化している所も少なくない。
 それでも、武家屋敷の通りは静かで雰囲気のある道だった。雨もいつしか止んでおり、島原散歩は楽しく進行している。再び城の前に戻り、堀に沿って歩いて駅へ帰った。
 二時間ほどの散歩だったが、充分楽しかった。原城跡に行かなかったことで予定よりも三時間ほど早い時間に島原を出発となったが、その分はどこかで寄り道しようと思う。
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2019.07.15 Mon l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
諫早
 諫早駅で降りた。改札前の壁にアウェイサポーター歓迎の横断幕が掛かっている。これは先ほど喜々津駅でも見かけた。待合室の前にはV・ファーレン長崎のマスコット「ヴィヴィ」のぬいぐるみが置かれたコーナーがあった。昨年はJ1に所属していたクラブだけあって、飾り付けがすごい。
 駅からスタジアムまでの道のりは矢印が路上に設けられ、商店街にはポスターや選手の立て看板が掲げられている。町挙げての演出だ。
 一旦、ホテルに寄って荷物を置いた。必要なものをまとめてホテルを出る。もちろん折り畳み傘は忘れない。
 ホテルの前に川が流れ、対岸には諫早城がある。スタジアムまでの道の途中でもあるので、ここに立ち寄るつもりだ。
 諫早城は肥前西郷氏の居城である。豊臣秀吉の九州征伐の際に帰参しなかったために領地没収となり、竜造寺家晴の城となって、その後江戸時代を迎えて廃城となった。
 城址は整備されており、公園となっている。私が訪れた時は通路の清掃が行なわれていた。時間があまりないので、ざっと見て回る。比高三十メートルほどの平山城だ。
 城の麓に高城神社がある。高城は諫早城の別称だ。こちらに参拝する。御朱印は四時までだったのでいただけなかったが、整った境内の神社である。
 高城神社の前から線路の方に向かって歩いていく。やがて島原鉄道の踏切が現れた。市街地ではあるが人通りの少ない細い道であるためか遮断機のない踏切だ。
 スタジアムに向かって、道路はゆるやかな起伏のある道となる。長崎方面の道で、夕方とあって交通量は多い。駅前と同様にスタジアムまでの道案内が完備された歩道だ。
 公式では諫早駅から徒歩三十分となっているが、そのくらいの距離だった。自分は寄り道したのでホテルから一時間ほどかけて到着した。町の郊外に立つ陸上競技場といった風情。
 私が購入していた前売り券はバックスタンドの自由席だ。ここは二階席もあるので一応比べてみたが。二階は風が強く寒いので一階にする。小雨が降ってきた。こんな天気なので客入りはよろしくないが、それでも七千人近く入っているのだから、J2としてはよく入っているほうだ。
 客席は思いのほか女性が多い。私の周りにも女性グループが何組もいる。あとは家族連れだ。雨でも快晴でも、スタンドに屋根があるのは女性にとってポイントが高い。
 対戦相手はFC琉球。今年J3から昇格してきたチームだ。さすがにサポーターの数は少ない。沖縄県から長崎は感覚としては東京よりも遠いのかもしれない。ハーフタイムに、沖縄出身のボーカルグループをゲストに招き、歌のショーが行われた。
 試合は大いに盛り上がり、3-0から2点を返されるというスリリングな展開ののち長崎の勝利となった。お客さんは皆それぞれのスタンスで楽しんでいる。こういうおだやかな空気が地方観戦の良いところだ。私は満足して帰路に向かった。その前に、グッズ売り場に寄ってヴィヴィ君タオルマフラーを買ったことは言うまでもない。
 歩き始めると雨が強くなってきたので傘を開く。国道に出ると、ちょうど路線バスが来ていたので飛び乗った。諫早駅まで140円。バスに乗ってしまえばあっという間だ。
 諫早駅周辺は飲食店が多いという訳でもなく、居酒屋もどこも満員。サッカー帰りの人達で賑わっていた。ラーメン屋でもいいかと思ったがそれもなく、結局駅構内のコンビニでオムライスとサラダを買った。
 駅の入口にサポーターの人が立って「お疲れ様でした」と通る人たちに声を掛けている。長崎市方面から来ている人が多いのだろう。意外と駅に向かう人が多い。実は数年後に長崎市にサッカースタジアムが出来る。長崎駅から徒歩圏だ。メインスポンサーのジャパネット(因みにV・ファーレン長崎の社長はあの高田会長である)が主体となって、ホテルなどを併設した長崎のランドマークとして建設されるという。
 新しいスタジアムが出来れば、今以上に観客も増えて盛り上がることだろう。もちろん、私も観に行ってみようと思っている。
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2019.07.13 Sat l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
東園
 先日、九州に行ってきたので、今回から全10回ほどその旅の話を書きます。写真は例によって四枚組です。小さくて見づらいかもしれませんが、話の説明のための写真という事でご勘弁ください。

 6月29日土曜日。羽田空港09:50発のソラシドエアに乗って長崎空港に向かった。天気は雨。ソラシドエアは社名が変わる前の宮崎羽田便に乗った事はあるが、社名変更してから搭乗するのは初めて。黄緑のイメージカラーで機内も明るい。
 長崎空港も雨だった。玄関の所にいきなりJリーグのV・ファーレン長崎のマスコット「ヴィヴィ君」ののぼりが歓迎してくれる。このマスコット、Jリーグきっての人気マスコットで、マスコット人気投票でいつも一位を争っている。
 長崎空港は人口島の上にある。ターミナルビルの前にバス乗り場があり、県内各方面に発車している。私は空港から一番近い大村駅を目指す。乗り場に切符自販機があるので、先にここで買っておくと便利。
 長い橋を渡り、大村の市街地に入る。全体的に建物が昭和だが、好きな眺めである。大村駅に着いたが、列車の時刻まで少しあるので昼食とする。しかし、予想に反して駅前に店がない。調べない旅の醍醐味だが、これは困った。雨が強くなってきたので、結局駅舎に隣接しているコンビニでパンと野菜ジュースを買う。
 大村から大村線で諫早へ。下校の高校生が多い。諫早駅は新幹線の工事が始まっていて、駅もリニューアルされている。橋上駅舎に高校生が多数降りていく。私はここから長崎本線で長崎方面に向かうが、今夜の宿はこの諫早に取っている。
 諫早からすぐに喜々津。今乗っていた電車は目的地には行かない電車だったので降りてみた訳だが、特に目的はない。駅の裏は港のようになっている。地図を見ると真新しい分譲住宅街のようでもある。大きい集落ではないが、人口はそれなりにありそうな町だ。
 駅前を一回りするとスコールのような雨が降ってきて駅舎に避難。駅舎はとても小さい。十人も座れない小さなベンチに腰掛け、次の電車を待つ。
 喜々津から長崎本線旧線に乗る。旧線は大村湾に沿って走る風光明媚な区間だが、大回りルートなので特急は走らない。右窓に海が広がってくると東園駅だ。
 記憶ではホームから海が一望できた筈だが、2000年にホームが長崎寄りに移転したそうである。それでも、大村湾のすぐ傍に立つ簡素な無人駅だ。降りたのは自分だけだった。
 駅舎はなく、大村駅で買ったICカード「SUGOCA」を機械にタッチして下車する。全国のカードの仕様の共通化が推進されて久しいが、各地のICカードを集めている私である。
 駅から細い坂道が延び、下りきると線路の脇に出る。その向こうは海岸である。集落は小さく、小さいながらも畑もある。道を右に曲がり踏切を渡ると船着き場と小さな砂浜が現れた。大村湾を一望である。
 雨は降っているのかどうかという程度だが、いつスコールが来るかわからない。常に避難先を想定しながら集落を歩く。とても古い。建物も、壁に掛かった広告看板も。時間が止まったような集落である。人の姿も見かけない。国道まで出ると、それなりに車の交通量はあった。
 改築している家があった。大工の人達が東園に降りて初めて見かけた人であった。
 歩いているうちにとても暑くなった。飲み物の自販などない東園である。駅に戻って、ホームのベンチに座り、着ているシャツを脱いで潮風に当たる。ホームの前は小さな切通しで海は見えないし、人の気配などまったくない無人駅なのである。そんな駅を一人占めしながら、諫早行きが来るまでの40分ほどをぼんやりと過ごした。
(FUJIFILM X100)
2019.07.12 Fri l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
鶴巻の大けやき
 行きに歩いて来た道に戻り、鶴巻温泉駅に向かう。
 来る途中に気になっていた大けやきに寄ってみた。ここは路線バスのバス停名が「大けやき」となっているくらいの名所である。
 樹齢600年以上と言われ、県内最大の大けやきだという。まさに町を見守り続けてきた老木だ。醸し出す空気も神社のような厳かさを感じる。
 この地が「鶴巻」ではなく「落幡」だった頃から、このけやきは大地に根を張り、風雨に負けずに歴史を刻んできたのだ。城址や神社仏閣と並ぶ史跡だ。
 鶴巻温泉駅の南口は改装され、木を使った綺麗な駅舎に生まれ変わった。まさに木と共に歩む町である。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 03 FISH EYE (135判換算 17.5mm F5.6)
2019.07.10 Wed l 厚木・丹沢・大山 l コメント (0) トラックバック (0) l top
真田
 天徳寺を出たところは高台になっている。鶴巻温泉駅方面の道には坂か階段を下っていく。山並みを眺められ、川も流れ、景色のいい土地である。だからか、近くに老人ホームがあった。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 03 FISH EYE (135判換算 17.5mm F5.6)
2019.07.09 Tue l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
与一堂
 天徳寺の本堂の左側に与一堂がある。真田与一義忠を祀るお堂だ。郷土の武将を祀るために2014年に完成したものだという。
 お堂の横には真田与一義忠についての説明板もある。ここからは駅から歩いてきた道や鶴巻温泉方面が見下ろせる立地だ。
 住宅地の中に建つお寺に歴史が詰まっている。平安時代末期から鎌倉時代にかけての歴史人の史跡は神奈川県に多い。ここ天徳寺もそのひとつである。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 03 FISH EYE (135判換算 17.5mm F5.6)
2019.07.07 Sun l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
天徳寺
 真田神社の近くに天徳寺というお寺がある。ここが真田城の跡である。
 源頼朝の挙兵に参じ、治承4年(1180)の石橋山の戦いに参戦。その戦いで戦死した真田与一義忠。その親である岡崎盛実が築いたと言われる真田城。以前このブログで紹介した岡崎城はここからほど近い。
 その後、室町時代は扇谷上杉氏の城となったが、戦国時代黎明期に伊勢宗瑞(北条早雲)との戦いに敗れた小田原城の城主大森藤頼が真田城に追い込まれ敗北し自刃したと伝わる。
 その後、廃城となっていたものを天正2年(1574)に鈴木隼人が天徳寺を建立。今に至る。
 山門からの眺めは至ってお寺であり、城址という雰囲気は少ないが、真田川に向かって高台となっている地に築かれていたり、近くの道路が微妙に折り曲げてある造り方となっていたりと、城があった事を思わせる地形ではある。
 本堂のある場所の裏手が主郭である曽我郭のあった場所で、今はそこは墓地となっている。その周囲には土塁が残されているそうだが、場所柄カメラを持ってうろつくのは遠慮した。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 01 PRIME(135判換算47mm F1.9)
2019.07.06 Sat l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
真田神社
 平塚市の真田にやってきた。真田と聞くと長野県を思い出すが、神奈川県にも存在する。ただし、戦国武将の真田家とは直接的な関係はないようだ。
 少し道に迷ったが、真田橋を渡ってから少し歩いた先を左折する。迷ったのは、地図での印象よりも道が狭かったからだが、静かな住宅地である。
 そんな住宅地の中に真田神社がある。石の鳥居は文久三年(1863)に造られたものだそうだ。境内には大けやきがある。
 本殿に向かい参拝する。境内は工事中らしく、立入できない箇所もあった。
 天正十九年(1591)に徳川家康が真田神社に一石五斗の神領を寄進した歴史があるそうなので古い神社だが、いつ建てられたのかはわからないとの事。かつては農具市が賑わった神社であったという。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 01 PRIME(135判換算47mm F1.9)
2019.07.03 Wed l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top