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黄金町
 ガード沿いから離れて路地に入ってみた。アパート初音荘は健在だった。
 その先にあるアパート群は改築され、やはりこちらもギャラリーになっている。路地にあるという事自体が風景として新鮮さがあり、風景とあわせてアートなのかもしれない。
(RICOH GR)
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2018.10.31 Wed l 横浜港周辺 l コメント (0) トラックバック (0) l top
黄金町
 アートギャラリーに変貌を遂げた建物たち。道の上に架かっていた初音町通りを示すアーチも、いつの間にか消えている。
 中身も装いも変わっても、建物の外観は雰囲気が残る。往時の風景を知っているだけに(夜の風景は知らないが)、建物を一瞥しただけで消えない面影が見てとれるのだ。
 似たような狭い玄関が並ぶ。玄関が店の表壁みたいなものであるくらい狭い。そういう造りだからこそ、ギャラリーに転用しやすかったのだろう。他に妙案もないと言えなくもないが。
 それにしても、よくぞこれだけギャラリーが集まったものだと思うほど多い。それは裏を返せば、それだけ店が多かったことの証でもある。
(RICOH GR)
2018.10.29 Mon l 横浜港周辺 l コメント (0) トラックバック (0) l top
黄金町
 黄金町にやってきた。「こがねちょう」と読む。ここを撮るのが旬だった時期はとうに過ぎ、今は昭和な古さは徐々に薄れ、マンションが増え始めている。
 何と言っても、浄化作戦によって京急のガード沿いのいわゆる「ちょんの間」という風俗店が一掃されたのが、景色の変化としては大きい。
 狭い間取りの小さな店舗が並んでいた風情は、今でもそれなりに残る。なぜ残っているのかといえば、建物そのままに改装してギャラリー化が試みられているからだ。今の黄金町は「アートの町」である。
(RICOH GR)
2018.10.28 Sun l 横浜港周辺 l コメント (0) トラックバック (0) l top
鎌倉宮
 瑞泉寺の脇にある山道を登っていくと、それはハイキングコースである。東に抜けると山の向こうの十二所に出られる。十二所神社に行くつもりで、その山道に入った。
 途中、尾根に出たところで道が二つに分かれた。方向的に右に行くのが正しいだろう。そう判断して右に向かう。
 道は変わらず尾根道で、進行方向左は斜面で、その下は住宅が並んでいる。そこが十二所なのだろう。
 やがて道は急な下りとなった。脇の崖にロープが通してあるので、それを掴みながら下りていく。住宅街に出た。閑静な住宅街だ。高そうな家が並んでいるのが鎌倉ならではだ。
 緩やかな下りとなっている住宅街の道を歩いていくと、やがて小さな川が現れた。確か、十二所は県道沿いに川が流れていた筈だ。もうすぐだと思い、小さな橋を渡る。道路は工事をやっている。先ほど、永福寺跡に向かう途中でも工事をやっていた事を思い出す。
 鳥居が見えてきた。十二所神社に着いた。そう思ったのだが、そこは鎌倉宮だった。あの工事現場はまさに先ほど通った所だったのだ。
 鎌倉宮は護良親王(もりながしんのう)を祭神とする神社である。護良親王は後醍醐天皇の息子で、親子で鎌倉幕府を倒した人物。その後、足利尊氏と対立して討たれてしまう。
 以前にも参拝したことのある神社で、町と山の境のような場所にあり、木に囲まれている訳ではないからか、境内は明るい感じがする。ここから南に少し行くと、永福寺跡である。
 道は間違えてしまったが、今日の散歩の締めくくりはこの大きな神社となった。神社の横からは鎌倉駅とを結ぶ路線バスが出ている。鎌倉宮から岐かれ道交差点までは結構狭い道路だが、そこをバスは往く。安全確認のためか乗務員がその区間だけ添乗して、ドアの開閉時の安全確認などを行なっていた。
(iPhone5)
2018.10.25 Thu l 鎌倉 l コメント (0) トラックバック (0) l top
瑞泉寺
 瑞泉寺は山に囲まれ、斜面に建つお寺である。花の寺として親しまれているので、本来なら花が咲き並ぶ季節を選んで訪れるべきだったが、それはまたの機会ということで。
 紅葉も美しいことで知られるが、こちらもまだ早い。そういう事情もあってか、境内は静かで落ち着けた。手入れされた庭園といい、こういうお寺にカメラを持った訪れるのならば、然るべき装備で訪問したいと思った。
 門までの道、帰りは脇の階段を選んでみた。竹が茂っている。竹は静かな所に繁殖する。自然に包まれたお寺に参拝してみたい人におすすめである。
(iPhone5)
2018.10.24 Wed l 鎌倉 l コメント (0) トラックバック (0) l top
瑞泉寺
 永福寺跡から更に奥に入っていくと、道は上り勾配になり、三叉路となった。どの道も細いが、真ん中を行くと瑞泉寺だ。
 鎌倉駅付近の平地の風景とはもはや別物な風景となった。山あいを歩いているような眺めだ。拝観料を払って境内へ。
 木々に包まれた階段を上っていくと、本堂が近づいてきた。
(iPhone5)
2018.10.20 Sat l 鎌倉 l コメント (0) トラックバック (0) l top
永福寺
 永福寺(ようふくじ)の跡を一通り見て回った。堂前の池のあたりから三堂のあった場所を眺めると、往時の雰囲気がなんとなくつかめた。小山の斜面を背景に、三つのお堂が並ぶ様は圧巻であっただろう。池の姿も優雅であったことだろう。
 現在復元された池の面積よりも、実際はもっと大きかったことが、入口に備え付けの箱に入っているパンフレットに記されている。現在の跡地の敷地の半分くらいが池だったようである。
 永福寺跡地を出て道に戻った。狭い平地から勾配に入り、山の風景となっていく。その前にコーヒーを買って一休みした。
(SONY NEX-6 LENS:smc PENTAX DA 40mm F2.8 XS) ※マウントアダプター使用
2018.10.19 Fri l 鎌倉 l コメント (0) トラックバック (0) l top
永福寺
 永福寺の中を歩く。大きなお堂は三堂あり、向かって左から阿弥陀堂、二階堂、薬師堂であった。
 中心に位置する二階堂の跡の前に来た。大きさ19.4m、奥行き17.6mの規模だったという。この辺りの町の地名が「二階堂」なのは、このお堂から付いたものだという。今回の訪問で知った知識だ。
 二階堂には釈迦如来があったと考えられているそうだ。入口近くの説明版には往時をイメージして書かれたイラストが添えられていた。現存していないのが惜しまれるお寺である。
 向かいの復元された池とのコントラストは、確かに平泉の無量光院跡の眺めと似ていると思った。
(SONY NEX-6 LENS:smc PENTAX DA 40mm F2.8 XS) ※マウントアダプター使用
2018.10.18 Thu l 鎌倉 l コメント (0) トラックバック (0) l top
永福寺
 永福寺(ようふくじ)は源頼朝が、奥州合戦で亡くなった源義経や藤原泰衡を始めとした数万人の霊を弔うために建立されたと言われる。
 近年の復旧作業により、発掘調査を基にして基部を復刻したものだ。奥州合戦の場となった平泉(現・岩手県平泉町)にあった無量光院を模して造られたという。
 先日、東北の旅で平泉に立ち寄り、無量光院跡も訪れている。こちらには池が復刻されちるが、この永福寺跡も池が復刻されている。池の周りは公園のような佇まいである。
 復元された基部をひとつずつ見て回ることにした。
(SONY NEX-6 LENS:smc PENTAX DA 40mm F2.8 XS) ※マウントアダプター使用
2018.10.16 Tue l 鎌倉 l コメント (0) トラックバック (0) l top
永福寺
 東逗子から横須賀線で鎌倉にやってきた。駅前からは若宮大路を通って、鶴岡八幡宮の前から東に向かう。
 以前にも書いたが、この辺りは好きなエリアである。人通りがそれほど激しくなく、いい雰囲気の寺社も多い。岐れ道交差点に来た。斜め左に折れる道は鎌倉宮に向かう道で、私はその一本先を斜めに左折、並行する小道に入った。
 鎌倉道に向かう道も細いが、あちらはバスも通る道。こちらは住宅路といった感じの狭い小道である。
 気になることが起きている。先ほど沿道にあった店先を撮ろうとして気づいたのだが、どうやらカメラのセンサーにゴミが付いてしまったようだ。色々と試行錯誤したが取れず、結局レンズの絞りを開けて撮ることにした。マウントアダプターに絞り値が書いてないので正確な数字はわからないが、大体F5.6あたりまではゴミの写りこみは無いようだ。
 絞って遠景を撮る時は、仕方ないのでiPhoneで行なうことにした。もっとも、今回持ってきたレンズはペンタックスのDA40mm F2.8で、APS-C換算で画角が60mmになってしまうという、もはや中望遠な組み合わせだ。iPhoneの出番は自然と増えるだろう。
 小道を歩き始めて10分ほどで、最初の目的地に着いた。永福寺跡だ。「ようふくじ」と読む。跡というくらいだから、本堂などの建物はないが、発掘調査を基にして、境内が整備されている。源頼朝が建立した三大寺院のひとつと言われるこの永福寺。さっそく入ってみた。
(iPhone5) ※パノラマモードで撮影
2018.10.14 Sun l 鎌倉 l コメント (0) トラックバック (0) l top
神武寺
 京急に乗って神武寺駅にやってきた。逗子線は少しローカルな感じがあり、特にこの神武寺駅周辺は山に囲まれていてのどかだ。駅の裏は米軍施設で、関係者専用の改札もある。
 反対側の駅舎は住宅街に面しており、逗子駅方面に延びる県道が通っている。私はその県道を歩き始めた。
 今日の目的地は鎌倉である。鎌倉までどう行くか、横浜方面からJR横須賀線で行くのが普通のコースだが、捻りを加えて逗子から行くことにした。それも、京急の新逗子駅から逗子駅に向かうのではなく、神武寺駅から徒歩で東逗子駅に向かうというものだ。
 途中の公園に京急600形電車が静態保存されている。車内にも入ることが出来るので中に入って座席に座ってみた。セミクロスシートの旅情を誘う車内である。そんな座席に座って、今日のカメラであるソニーNEX-6の撮影設定を確認する。
 今日の天気は晴れではあるが、雲が多く、時々曇り空になる。こういう日の感度設定は悩ましい。NEXの背面液晶は小さい上に見やすくはないので、頻繁に設定変更するのが億劫になる。ソニーNEX系の操作性の問題と言ってしまえばそれまでだが、面倒なのでISOオートにした。ホワイトバランスは晴天だ。
 横須賀線の踏切を渡り、左に歩いて東逗子駅に着いた。この駅もローカルな感じが漂っていて良い。小ぶりな駅舎。細いホーム。春にはホームの脇に並ぶ桜の花が咲く。
(iPhone5)
2018.10.13 Sat l 逗子 l コメント (0) トラックバック (0) l top
IMG_2682_R.jpg
 半月ほどにわたって、九月に行った北東北の旅の記事をアップしました。ブログタイトルからすると県外のネタを記事にするのはどうかという思いもあるのですが、旅を形に残しておきたいと思い、アップしています。
 基本的に、旅の写真の場合は四枚で1セットにして掲載しています。このブログは「ひとつの記事に写真一枚」を基本としているのですが、旅の写真を各所で一枚ずつ掲載していると回数が増えてしまいます。今回で言えば、半月で済まずに一カ月以上かかってしまう事でしょう。
 四枚でひとつにして、更にサイズ縮小しているので画質が落ちてしまいますが、このブログは写真機材の性能を語るブログではないので、その辺りはご了承願いたく思います。旅の雰囲気を伝えるために、出来るだけ高画質にしたいのが本音ではあります。
 さて、次回からは神奈川県の話に戻ります。前回の県内ネタは八月末に行った藤野と牧野でしたので、もう随分間が開いてしまった気がします。実際、牧野に行った時は夏全開な天気でした。まだまだ暑いですが、もう秋ですよね。
 次回以降の記事に使用した機材は、写真にあるソニーNEX-6です。マウントアダプターを使ってペンタックスDA 40mm F2.8 XSを付けています。
 このレンズ、ペンタックスK-01を買った時に付いてきたレンズです(新品のレンズセット)。K-01は黄色を買いました。とても薄くて軽いレンズで、プラスチック感に溢れています。パンケーキレンズより薄いので、ビスケットレンズなどという人もいるくらいです。こうしてマウントアダプターを介して装着していても、結構出っ張らないですね。
 見た目は安っぽいレンズで、しかもフォーカシングすると真ん中のレンズ部が繰り出すため、豚の鼻のようだなどとマニアから揶揄されております。でも、そこが良いと思っています。
 マウントアダプターはヘリコイドが付いていて、絞りリングのない事が標準仕様であるDAレンズでも絞りを変えることが出来ます。クリック感がないので、カメラを動かすとヘリコイドも動いて、絞りが変わってしまうのが難点で、撮影の際にはヘリコイドを指で押さえて撮る必要があります。
 安いアダプターにしたからか、無限遠が今一つ出ていないように感じられ、遠景向きではないアダプターかもしれません。無限遠のマークから気持ち少しずらして撮影すると解像感が多少よくなるようです。
 この度の撮影で困ったのが、「センサーにゴミが付いていた」こと。前回から付いていたようです。絞りを閉じ気味にすると目立つので、結局絞りを少し開けて撮影しました。サービスセンターに持ち込んでセンサークリーニングをしてもらわないと駄目ですね。まあ、撮影散歩自体は楽しかったので、次回以降、お楽しみください。
2018.10.12 Fri l カメラエッセイ l コメント (0) トラックバック (0) l top
金田一温泉
 九戸城から市街地に出た。バスの時間まで少しだけあるので、岩谷観音堂に行くことにした。
 九戸城の北側を流れる白鳥川。川幅はそれほどないが、流れの速い川である。川に沿って立つ崖の上は城ということになる。その崖に洞窟があり、そこに赤い橋が架かっている。そこが岩谷観音堂である。
 昔、白鳥川が氾濫した時に、川の中から引き上げられた観音像を祀っているお堂とのこと。橋の手前までしか行けなかったので、そこから手を合せて、バス停に向かう。
 呑香稲荷バス停から二戸駅行きのバスに乗り、駅に着いた。二戸駅からはIGRいわて銀河鉄道に乗って、二つめの駅である金田一温泉駅で降りる。
 青森県との県境に近いこともあって、風景は山深くなってきた。「ざしきわらしに会える温泉」らしいが、それが真であるかのようなのどかさがあった。駅は無人駅で、地元の名作家三浦哲郎さんが金田一温泉について書いた作品の紹介が待合室に展示されてあり、他にも様々な掲示物で駅の雰囲気を明るくしようと、地域住民の方々が手入れをしている。
 駅からすぐの所に国道四号線が交差している。その立派な造りの国道を渡り、斜めに馬淵川に沿った小道を往く。途中、鮎の養殖場があった。目指す「ホテル金田一」は国道沿いに看板が出ていた。馬淵川は九戸城と二戸市街のあった所を流れていた川で、二戸の辺りでは中流の趣きがあったが、金田一では川幅も狭まっている。
 少し道に迷いながら、川の側に立つホテル金田一に着いた。鉄筋だが、結構くたびれた感じのある玄関だ。私は昭和レトロ物件が大好きなので構わないが、Tさんはどうだろうか。
 フロントとロビーは一応ある。脇には土産物屋らしき一画もある。とりあえず女将さんと思われる女性に、入浴料400円を払って館内へ。後でわかった事だが、この400円というのは金田一温泉の日帰り入浴可能な宿・施設で一番安い。
 説明されたとおりに、廊下を歩いて建物の奥に向かっていく。ありふれた表現を使えば、何十年も昔にタイムスリップをしたような景色である。突き当たりに浴場があった。左が男性、右が女性だ。
 暗い廊下を歩き、着いた浴場は、窓から射す夕方の弱々しい陽が脱衣所を照らしていた。ロッカーはない。木枠の棚のみである。貴重品はフロントに預けるべきだった。まあ、先客が一人しかいなかったので、ナップザックをそのまま持ち込み、浴室の端、窓枠のそばに置いた。
 窓は随分とくたびれている。割れた箇所がテープ留めされているが、その向こうに見える山々の景色はとてものどかで落ち着く。体を洗って湯に浸かった。
 湯は熱すぎず、ぬる過ぎず。台温泉はやや熱めで、Tさんは熱くて長く入っていられなかったと言っているが、このくらいの熱さならのんびりくつろぐ事が出来る。窓の向こうの風景といい、ゆったりした気分にさせてくれる温泉だった。後で知ったことだが、ここは他の施設とは異なる独自源泉を使っているそうで、それを求めて地元の人たちも入りに来る温泉だそうである。その気持ちはよくわかる。私達が出たあとも、何人かが浴場に向かっていった。
 湯上がりに土産物屋的な一画にあったキリンラガーを買い求めた。女将さんいわく、ロビーのソファでくつろいで下さいとのことで、そこに落ち着き乾杯をした。静かな昭和レトロ温泉で飲む湯上がりビールはとても美味しい。
 Tさんは「今回の旅で入った温泉で一番よかった」と喜んでいる。黄昏の田舎の風景も心に沁みる。来てよかった金田一温泉という気分である。ひっそりとした駅から二戸行きに乗り込んだ。電車は青い森鉄道の車両。つまり、元JR701系。「通勤型を東北に使うなんて」と嘆いていた気持ちは変わらないが、日の沈んでいく二戸の山間を眺めているうちに、そんなことはどうでもよくなった。
 二戸駅前に居酒屋がある。昼に乗った路線バス乗り場のすぐ近くで、ここなら帰りの時間までのんびり出来そうだ。小さなビルの二階にあるその店のカウンターに座る。女将さんが一人で切り盛りしている。南部美人の吟醸があったので注文し、コマイの唐揚げなどを味わう。鶏肉のおひたしが美味しい。女将さんいわく、鶏肉が自慢らしいので唐揚げを注文したところ、とても美味しかった。「もう一泊したい」というTさんの言葉に同感だ。二戸に泊まりたい気持ちを抑えながら、一時間ほどの滞在で店を出た。
 コインロッカーから荷物を取り出し、朝にチェックしておいた駅構内の土産物屋に行く。岩手県の地産品が豊富にあり、店内も明るい。いい店だ。もっと多くの観光客に来てほしい二戸である。
 地酒やワインや土産を買った私達は、駅の売店でおつまみを買い、新幹線乗り場に向かった。構内には九戸城の紹介と九戸政実ののぼりが立っている。地元の英雄なのだ。先ほどの土産物屋にも九戸政実コーナーがあり、政実を有名にした小説「天を衝く」のロゴが入ったTシャツも売られていた。
 私達は東京行きの新幹線の車内で二次会を始めた。駅の売店で買ったカキとホヤのおつまみが美味しくて、あっという間に食べtしまった私達は、車内販売のお姉さんからホヤの干物を買い求め、あっという間の二時間半を過ごした。
 まだ物足りない。旅の余韻に浸りたい。そんな気分のまま、上野駅の地上ホームのベンチに座り、Tさんがお土産のつもりで買ったワインを開けた。この地上ホームからは、かつて東北方面の特急や急行が多く発着していた。旅情溢れるホームは、ひっそりと佇み、まだ心は東北に残ったままの私達を迎えてくれるのだった。
(RICOH GR)
2018.10.11 Thu l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
九戸城
 九戸神社前バス停からバスに乗り、二戸市内に戻る。行きと同じ道である。残暑な天気で汗ばむ気温に、車内の冷房が心地よい。
 バスが二戸の市街地に入った頃、呑香稲荷バス停で降りた。その名のとおりの神社がすぐそばにある。神社の入口の先、今バスが走ってきた道を少し戻ったところに、九戸城の入口があった。
 道は住宅愛の路地みたいな風情だったが、やがて広い芝生に出る。大手口の跡だ。九戸城はかなり広いので、これから一時間以上をかけてじっくり見て回る。
 天正十九年(1591)に、豊臣秀吉は兵を起こし、奥州仕置を行なった。奥州とは東北のことである。
 前年に小田原北条家を討伐し、関東を手に入れた秀吉は名実ともに天下人となった。奥州は南側が伊達政宗、北側が南部信直、日本海側の北側が津軽為信、秋田周辺は秋田実季など、各地に秀吉が認めた大名が存在することになったが、天正十九年に行なわれた「太閤検地」を始め、秀吉のやり方に異を唱えた武将や民が一揆を起こした。そして、秀吉の命令によって一揆討伐が行なわれ、鎮圧された。
 代々、南部家の重臣であった九戸家の当主である九戸政実は南部家の当主南部信直に反旗を翻し、その結果、秀吉にも反旗を翻すことになる。
 もはや、天下人として従わぬ者など無きに等しい状況となっていた豊臣秀吉は、九戸政実を討伐することを目的に軍勢を起こし、京の都を出立させた。その軍勢のうち、六万五千人がこの九戸城を包囲。しかし、九戸政実は降伏せず籠城戦を開始した。
 城内を歩いていると風が気持ちいい。ここで大きな戦があったことを想うと、何とも言えない気持ちとなるが、東西南北を山並みが覆い、景色のいい城である。ひとつひとつの郭の間には巨大な空堀が築かれている。この城の敷地の外周には、馬淵川、猫淵川、白鳥川と三つの川が流れて自然の堀の役目を果たしている。この急峻な地形と、巨大な堀ゆえに、秀吉が発した上方軍は城を攻めあぐねたのだという。
 私達は二の丸にやってきた。ここで行なわれたことをTさんに説明する。
 籠城戦が長引き、雪の季節が迫ってきた。焦りを感じた上方軍は、現在の宮城県付近で待機している徳川家康軍に援護を依頼する。合わせると十万人を超える戦力となるのだ。更に、長興寺の住職薩天和尚を使者として和議を申し入れることになった。降伏して、政実を始めとした大将格の首を差し出せば、籠城している兵士と民の助命をするという内容だ。これを政実が受け入れ開城した。しかし、約束は反故され、上方軍は政実の居なくなった城内に攻め寄せ、民が避難していた二の丸に火を放ち、九戸城を落とした。
 後の発掘調査で、その残虐な出来事の言い伝えが本当であったらしい事がわかった。九戸政実の師匠である薩天和尚を騙して和議の使者として送り、騙し討ちを行なったのだ。そこまでするには、それ相応の理由が秀吉側、上方軍側にあったという事なのだろう。
 本丸跡に着いた。ここからは二戸の町が見下ろせる。戦の際には、城の四方を六万五千人の兵が埋め尽くしたという。その様相を想像しながら麓の景色を眺めた。九戸城に籠もった者、わずか五千人。その圧倒的不利な状況で戦には負けなかったのだ。全国のほとんどの武将が従ってしまった秀吉に、最後の抵抗を見せた武将。それが九戸政実だ。
 本丸跡の、町を見下ろせる場所にベンチがあった。木が並び涼しい場所だ。ここで昼食とした。Tさんから、「なんで長年全国的に知られていなかったこの戦が、近年になって知られるようになったの?」と質問を受けた。いつの時代も、勝者によって歴史は作られる。敗者が何を思い戦ったのか。その理由の多くは語られない。ましてや、勝者は戦そのものに勝った訳ではないのだ。秘しておきたかった事だろう。近年になって、小説によって知られるようになるまで、歴史マニアでも知る人が少なかったという人物なのである。奥州のため、この土地のため、巨大勢力に立ち向かった者が確かに存在したのだ。
 本丸から北の縁に沿って西に向かった。あまりに大きい城なので全てを見て歩くことは出来なかった。西の端に休憩所を兼ねた案内所があった。九戸政実を描いた漫画、この戦いにちなんだ史跡のガイド、それぞれが小冊子となって置いてある。九戸政実のファンである私は、すでにネット経由で入手しているので、Tさんがそれを持ち帰った。
(RICOH GR)
2018.10.10 Wed l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
九戸村
 二戸駅は東北新架線の駅も設けられているので、構内はとても綺麗だ。西口に通じる通路に九戸政実ののぼりが立ち、九戸城のパンフレットが置いてあったので、さっそく頂いた。
 西口は新幹線が近年開通してから整備されたようで、真新しい土産物屋があった。帰りは此処で何かしら買うことになるだろう。私達は駅のコインロッカーに荷物をしまい、喉が乾いたというTさんのリクエストに応え、土産物屋で地ビールを買ってバスの待合室に向かった。二日目の朝の秋田駅、三日目の夕方の花巻駅に続き、今日もコインロッカーのお世話になる日である。
 東口は昔ながらの風情を残していた。狭い駅前通りには僅かながらの駅前商店街が形成されている。私が初めて東北を旅した時、盛岡で新幹線から特急に乗り継ぎ、旅で最初に降りた駅が、この二戸だった。ちなみに「にのへ」と読む。これからバスで向かうのは九戸村で「くのへ」と読む。
 二戸駅から出たバスは橋で馬淵川を越えると、市街に出た。山間の僅かな平地に築かれた町である。市街の脇に見える丘は九戸城の城址だ。
 市街を抜けると道は上りになり、しばらくは家並みが続き、店もちらほらあったが、やがて峠越えとなる。折詰トンネルという長いトンネルを抜けると、高原のような風景となった。九戸村である。
 30分弱のバス旅は長興寺バス停で降りた。ある程度の場所は記憶してきたが、バス停の周りにはそれらしき景色はない。ちょうど道路工事をやっている人がいたので、交通整理を担当していた人に道を尋ねた。
 バス停としては次の長興寺小学校前の方が近いようだったが、無事に長興寺に着いた。ここは九戸家の菩提寺であり、九戸政実の生誕の地と言われる。政実については、二戸市内に帰ってきてから解説する。
 九戸家の家紋がある本堂の前で手を合わせ、脇に立つ大銀杏を眺める。九戸政実が出陣の際に植えたと伝わる。かなり古い木で、それだけの年月を過ごしてきたのだと実感できる風格があった。
 天正十九年(1591)に行なわれた豊臣秀吉の奥州仕置。当時、長興寺の住職だった薩天(さつてん)和尚は九戸政実の師匠であった。九戸城での籠城戦にて開城勧告の使者として城に入ったのが、薩天和尚だった。そして、戦は終わり、その後に悲しい結末が待っているのだが、それは九戸城の話の時に書こう。
 私達は長興寺から南に少し行ったところにある九戸神社に向かった。道路から神社まで、思っていたより遠かったが無事に到着。
 九戸神社は、九戸政実が戦勝祈願を行なった社とも言われる。緑に包まれた静かな社である。九戸政実公に訪問の挨拶をする気持ちで、本殿で手を合わせた。
 九戸神社の手前の林には、九戸政実が処刑された後、家臣がこっそり持ち帰った首を埋め祀った首塚もある。私達はバスの時間が気になってきた頃で早足になっていたので、林の中までは行けなかった。私は心の中でそっと手を合わせるのだった。
 道路に戻ると、そこに九戸神社前のバス停だ。なんとかバスに間に合った。本数の少ないバス路線に乗って、あちこちを回るのは中々大変であるが、とても心に残る風景である。空の青さと、山並みの美しさ。青森県との県境も近い。遠くにやってきたという実感があった。
(RICOH GR)
2018.10.09 Tue l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
岩手
 タクシーで晴山駅に戻ってきた。農村の中に溶け込むように、ひっそりと佇む小さな駅。やってきた釜石線のディーゼルカーは遠野方面からの高校生で席は塞がっていた。
 東北新架線との乗り換え駅である新花巻は一番線しかないホームに、20人くらいの乗り換え客が列車を待っていた。少しずつ日は暮れ、花巻に到着する。
 18時41分の台温泉行きの終バスまで一時間近くある。今夜の宿は台温泉で、素泊まりで予約したので花巻駅で夕食にする。駅そば屋と待合室が一緒になった空間は高校生でいっぱいだ。私達は「賢治そば」という山菜そばを頼み、それを夕食とした。
 駅構内にあるコンビニで地酒とワインと岩手の会社が作っている銀河高原ビールとおつまみを買い、バス停に向かった。もう外は夜である。
 バスは花巻駅東口を出発したあと、駅の西側に出て、しばらく市内を走ったあと、町の郊外に出た。夜の車窓でも、山の方に向かっているのがわかる。
 やがて花巻温泉に着いた。ここは観光客向けの綺麗なホテルが数軒ある。居酒屋も一軒確認できた。ここに泊まるか、ここで夕食ということも当初考えていたが、これから泊まる台温泉の湯治場的雰囲気に惹かれたのだ。
 道路は峠に上がり、その中腹にある終点に着いた。駅からは20分ほどの距離、周囲は暗い。バス停から細い道が二つに分かれており、その道沿いに小さな温泉街が形成されているという訳だ。予約した旅館はバス停のすぐ先であった。木造の古い旅館で、湯治場の雰囲気を残す宿だ。
 源泉かけ流しだという温泉を堪能したあと、廊下にある冷蔵庫で冷やしておいたビールを開けて部屋で乾杯する。網戸の窓から入ってくる風は、もう秋の涼しさを帯びていた。
 ビールに続いて日本酒のカップを飲む。遠野の酒で、これもまた美味しい。木造旅館の部屋で風に涼みながらくつろぐ。観光的な贅沢感はないが、とても楽しい。私達は下駄を借りて夜の温泉街の散歩に出かけた。時計はまだ夜9時を過ぎたところである。
 台温泉は小さな温泉街で、宿も古びた旅館ばかりなので、夜ともなると風情のある道となる。小川のせせらぎが聞こえてくる。すぐに温泉街は尽き、引き返した。
 バス停の所まで来てみたが、道路を照らす街灯だけで、歩いているような人は居ない。我々は仕方なく旅行者用の駐車場に腰を下ろし、ワインを開け、旅館から借りてきたコップに注いで乾杯した。ふと、空を見上げると無数の星。まるでプラネタリウムである。星を肴に飲む岩手のワインはとても美味しかった。
 翌日、7時台のバスに乗って花巻駅に向かう。このバスが一番早い便なのだ。出発前に朝風呂にも入った。湯治場的な宿なので浴室は小さいが、だからこそ趣きがあり、何より湯が良かった。さすが源泉だ。
 昨夜も寄った花巻駅のコンビニでパンを買い、ホームで食べているうちに盛岡行きが来た。初日以来、東北本線の電車は701系という通勤型である。車内で駅弁を開けるような内装ではないのが残念だ。
 盛岡からは第三セクター鉄道の「IGRいわて銀河鉄道」に乗り換えとなる。元の東北本線で、新幹線が出来た時に第三セクター化された。青森県内に入ると「青い森鉄道」と名前が変わる。停車していた八戸行き電車は、その青い森鉄道の電車で、側面にキャラクターがラッピングされていた。この電車も元JR701系なのである。
 電車は思いのほか混んでいて席が塞がっていたが、大学があるらしく、郊外に出ると降車客が増えてやがて空いた。少しずつ県境に近づき、山深い風景となっていく。この風景の中を何万人という兵士が歩いたのだなと思いながら、それを眺める。これから行くところは戦国時代の史跡である。二戸駅に降りる青空が広がっていた。
(RICOH GR)
2018.10.07 Sun l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
丹内山神社
 東北本線花巻駅に着いた。ここで釜石線に乗り換える。釜石線は遠野を経由して三陸の釜石に至るローカル線で、前身となった軽便鉄道は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の銀河鉄道のモデルになったと言われる。
 列車は夕陽を受けて東へ走る。田圃の中に突然巨大な高架が現れるが、これは新幹線の新花巻駅だ。ここから遠野や釜石に向かう人達が乗り込んできた。遠野は柳田国男の「遠野物語」で、釜石は新日鉄の工場とラグビーで知られる町である。
 16時18分。私達は遠野の少し手前にある晴山で降りた。片面一線のホームしかない無人駅で、待合室こそホーム上にあるが駅舎はない。ホームの前は田園地帯。駅を出ると僅かながらの住宅地。花巻駅から15.9kmに立つのどかな駅である。
 駅前広場などというものはなく、それを見越していた私は、予め調べておいたタクシー会社に電話を掛けてタクシーを呼んだ。一駅手前の土沢にある会社で、土沢は東和町の中心だ。平成の大合併で東和町は花巻市に編入されている。
 東和という名前は後から付けたような造語地名っぽさがあるけれど、どうやらそうではなく古代から存在する地名だそうで、「東に作られた和の国」という意味を持つ可能性があるという。此処は、かつて大和朝廷に仕え金属関連の製造管理を行なっていた物部(もののべ)氏が、大和を追われて辿り着いた地と言われる。
 タクシーは10分としないうちにやってきた。「丹内山神社に行きたい」という私の要望にすぐ頷いたものの、「二の鳥居の前で降りたい」という言葉に首を捻った。周辺にある建物などは、出発前に眺めていた地図で記憶していたので、それを説明すると大体わかったようで、軽快に走り始めた。
 道は丘陵を越え、丘と丘の間の平地へ移っていく。晴山駅から10分としないうちに、目的地の二の鳥居に着いた。1800円。帰りは17時25分にこの場所でと、予約を入れて車を降りた。
 二の鳥居は道路に面して立っており、横に宮沢賢治の歌碑がある。「祭日(一)」というその詩は、丹内権現(丹内山神社)のお祭りを詠んだものだそうだ。鳥居の先に延びる参道は緩やかな上りとなっていた。
 参道はやがて林の中に入っていく。道の脇に水が流れている。砂利道と交差し、そこに赤い鳥居が立っていた。これが三の鳥居である。この砂利道に小さな駐車スペースがある。
 石段を上がっていくと、様々な社があり、随所に丹内山神社の七不思議についての案内板が設置されていた。さらに石段を上がり、社殿に向かう。ここで手を合わせて、我々は社殿の背後の斜面を登った。そこには、巨大な石が置かれてある。石、というより、岩と言った方が伝わる大きさだ。
 胎内石と言われるこの巨石は、アラハバキ大神の石なのである。アラハバキとは古代から東北で信仰されてきた巨石信仰であり、石の神様である。物部氏が金属の専門家である家系ゆえ、そこから広まっていたのかもしれない。
 胎内石は向かって左下に小さな穴が開いている。ここを壁面に触れないようにくぐり抜けると願いごとが成就するという。Tさんは小柄なので挑戦してみようかということになった。丹内山神社は受験にご利益があるという。Tさんは間もなく自動車の合宿免許に行くそうなので、無事合格を祈願しようという訳だ。ところが、虫に弱いTさんは腰が引け断念した。それもまたよし。アラハバキの神様に頭を下げ、胎内石をあとにした。
 帰りの参道からは、夕陽が木々の隙間から射してくる景色を味わうことが出来た。とても静かで、いわゆる俗的な観光地化をされていない場所なので、人とすれ違うこともない。いにしえの陸奥の空気を感じ、アラハナキ信仰を今に伝える神社に一礼して道路に向かった。
(RICOH GR)
2018.10.06 Sat l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
秋田内陸縦貫鉄道
 阿仁マタギ駅から乗った列車は猫で溢れていた。先ほど乗ってきた列車は犬で溢れていた。秋田内陸縦貫鉄道は犬派猫派どちらでも楽しめる鉄道だったのだ。
 先ほどの列車と同じように、天井には写真が並べられている。いろんな猫が車内に並ぶ光景は圧巻だ。そして、私の座っていた席には猫キャラクタークッションがあった。「欲しい」という気持ちにさせてくれるデザインである。もちろん持って帰るような真似はしないが、こういうおもてなしがローカル線を明るくするのだと実感した。
 田圃アートもある。無人駅の駅舎がこぶりで愛らしい。降りてみたくなる駅が多いローカル線だ。だが、本数が多い訳ではないので、気ままに降りる訳にはいかない。しかも、手持ちの切符は一回しか途中下車できない切符であった。
 車内を楽しんでいるうちに、あっという間に終点の角館に着いた。秋田の小京都と言われている町で、昔ゴールデンウィークに桜を見に訪れ、泊まったことがある。武家屋敷を始めとした史跡は駅から少し離れている。町の中心地が駅とは違う場所にあるのだ。タクシーで一回りも考えたが、暑さで休憩しようという気分になり、JRの駅に併設されている土産物屋で地ビールを買って、バス停のベンチに座って飲んだ。
 地ビールのラベルには桜が描かれていた。古風なデザインに統一された駅と周辺の建物は、桜が似合う眺めだと思えた。
 角館からは田沢湖線になる。と言っても、乗るのは東京行き秋田新幹線こまち号。田沢湖線は在来線の上を新幹線が走る路線なのだ。E6系に乗るのは初めてで、それは楽しみにしていたが、出来れば鈍行に乗って景色をゆっくり眺めたい路線である。
 田沢湖駅を出ると車窓は渓谷に沿う眺めとなり、長いトンネルで岩手県に抜けると高原の眺めに変わった。雫石駅を出ると、小岩井の高原だ。小岩井の牧場から出荷される乳製品は小岩井ブランドとして全国の店に並んでいるので、その地名はよく知られるところだ。
 当初考えていたプランでは今回実行したコースと逆回りのコースだった。そのコースだと田沢湖線は鈍行に乗ることになっていた。小岩井駅で途中下車する予定だった。通過していく車窓から眺めると、その木造駅舎は降りてみたくなる佇まいに満ちていた。またの機会としよう。
 当初考えていたコースを却下した理由は、私とTさんの行きたい場所を合わせて勘案すると、すべてを回るのが難しかったからなのだが、これから向かう場所は、そんな苦心のプランニングの結果、訪れることが可能となった場所なのである。
 私達は盛岡駅の新幹線ホームを出ると、東北本線のホームに出た。盛岡からほど近い花巻駅を目指す。
(RICOH GR)
2018.10.03 Wed l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
阿仁マタギ
 阿仁マタギ駅に着いた。マタギとは猟師を意味する言葉で、この駅に近い打当という村はマタギの里として知られる。ホームには、そのマタギの像があった。
 途中駅から隣の車両に大勢の小学生が乗り込んでいた。空いているのに何故二両編成なのかと思っていたが、これが理由かもしれない。その小学生の団体も阿仁マタギ駅で降りた。マタギの里という施設があるので、そこに行く遠足だろう。
 さて、私達もそのマタギの里に行くつもりだ。駅からは送迎車があると聞いており、案内看板にもそう出ていた。念のため、子供たちの引率者、おそらく先生と思われる男性に訊いてみたが、やはりそうだという。しかし、案内看板に書かれた電話番号に掛けてみたが応答がない。
 困り果てていると、マイクロバスがやってきた。どうやらこの車が子供たちを乗せていくようだ。先ほどの男性がこちらにやってきて、「もう一台来るので、そちらに空きが出そうなら同乗してください」との事。
 もう一台のワンボックスに何とか乗れることになった。乗り込んでくる子供たちは皆挨拶していく。車は数分で山間に立つマタギの里に着いた。
 降り際も子供たちが挨拶してくる。みんな明るい。久しぶりに子供らしい子供たちを見たと思った。予定では展示物を見てから併設されている打当温泉に入るつもりだったが、子供たちと見学が重ならないよう、先に温泉に行くことにした。
 温泉は新しい設備で、内湯だけでなく露天風呂もあった。周囲は緑に包まれ、風が心地いい。他にお客さんがおらず貸し切り状態だった。
 すっかり気分よく温泉を出たあとは、展示コーナーに向かう。マタギが使っていた猟銃や道具などが展示され、貴重な写真や史料も展示されている。広くはないが見応えのある展示だ。打当出身のマタギを描いた小説、熊谷達也さんの直木賞受賞作品「邂逅(かいこう)の森」を少し前に読んでいた私には、感慨深い展示コーナーだった。
 館内の休憩室に隈の皮を使った敷物が置かれてあった。毛皮の手触りはなかなか良い。
 帰りの列車までまだ少し時間がある。昼食はこの施設で考えていた。食堂のメニューに「熊鍋」があることに気付いたTさんが、それを食べたいと言った。フロントに帰りも送迎車があるかを確認し、時間を告げて予約して食堂に入る。
 ビールを頼み、熊鍋を一人前で頼んで二人で食べた。熊肉は初めて食べたが、思ったより柔らかくて美味しかった。自然の恵みに感謝しながら、つゆまで平らげた。
 行きと同じ車で送ってもらい、阿仁マタギ駅に着くと、田圃が青空に包まれている姿を堪能できた。案山子の姿が個性的で、のどかな山間の風景を彩っているように思われた。
(RICOH GR)
2018.10.02 Tue l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
秋田内陸線
 秋田内陸線に乗る旅。車窓は田圃が広がる。田圃アートは全線で四か所。その都度、列車は徐行して常務員による案内が放送される。
 車内は犬の写真で溢れている。楽しい車両だ。やがて、車窓は杉の森に入っていく。この辺りは杉の名産地でもある。とにかく杉が多い。
 阿仁合(あにあい)からは列車は急行もりよし号となる。急行料金を必要とする急行列車は今や全国的にも貴重な存在となった。そんな急行列車にふさわしく、阿仁合からは女性車掌が乗務する。車掌さんによる沿線案内を聞きながら、杉深い山奥の景色を眺めた。まもなく途中下車駅である阿仁マタギ駅だ。
(RICOH GR)
2018.10.01 Mon l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top