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奥羽本線
 二日目の夜は秋田駅前のホテルに宿泊した。三日目の出発が06:15と早いからだが、部屋にマッサージチェアがあるホテルで非常に助かった。というのは、この旅の出発前日あたりから腰痛気味で、初日の夕方から悪化していたからだ。
 マッサージチェアのおかげで幾分か楽になり、街に繰り出せた。店はTさんが検索し、現地を歩いてみて決定するという、いつものパターンである。今夜は雨予報なので、なるべく駅の近くで決めることにした。
 一軒目は魚介類と地酒が豊富な店だった。秋田は一人あたりの日本酒の消費量が確か日本一で、個人的にも秋田の日本酒は一番美味いと思っている。品書きを見ているだけでも楽しく、出てくるもの全てが美味い。刺身はやはり鮮度が大切だと実感する。そして、ホヤの美味しさは北東北ならではだろう。ノドグロの刺身も美味しかった。
 地酒を色々飲み、すっかりいい気分だが、せっかく秋田に泊まっているのだからと、もう一軒行くことにする。一軒目に行く途中、店構えが気になる店があった。そこに向かった。
 L字型のカウンターだけのその店は、お兄さんが一人でやっている。どうやら焼き鳥が美味しいようだ。秋田は地鶏も名物である。地酒を頼み、串ものをいくつか注文。お兄さんの焼く姿は「いなせ」という言葉がよく似合う。
 私達以外に誰もいなかった店内に、三人ほどのサラリーマンがやってきた。中年の上司らしき人が若い男性を連れている。話を聞くに、どうやら県内の某所の会社に勤めるサラリーマンで、この店と、このマスターのファンである上司が、秋田市に仕事で来たのを機に、部下を連れてきたのだという事らしかった。
 一軒目は酒と魚介の美味い店。二軒目は焼き鳥と人情の店であった。自分も秋田に住んでいたら通いたくなるであろう、そんな店だ。気分よく店を出ると雨が降っていたが、ホテルまではすぐである。

 三日目の朝、秋田駅の早朝の空気は澄んでいた。奥羽本線で弘前方面に向かう。車内は意外と乗っている。やがて太陽が明るく田圃を照らし始めた。八郎潟に差しかかった。広大な田圃の風景は圧巻だ。東能代でだいぶ降り、隣のホームに停車している五能線に乗り換えていく。海を見に行くならこちらに乗りたいが、これから向かうのは山である。
 鷹ノ巣駅に着いた。青森県との県境が近づいているためか、この辺りまで来ると車内も駅も静かだ。駅前広場に出て、隣の駅舎に向かう。茶色の木造駅舎、秋田内陸縦貫鉄道の鷹巣駅だ。こちらは「ノ」が付かない駅名である。
 窓口で途中一駅だけ途中下車が出来る切符を買う。途中下車する駅は「阿仁マタギ」に決めている。今から乗る列車は途中の阿仁合から急行になるので急行券も買う。駅員さんから、沿線にある田圃アートの話を聞き、どの場所にあるかを記したカードを頂いた。
 ホームに出ると、看板も、車内も、秋田犬が溢れていた。車両の天井にはいろんな犬の写真も飾られている。青空の下、ディーゼルカーはゆっくりと発車した。私達はクロスシートの席で、秋田駅で買っておいた駅弁を開いた。朝の六時前だというのに駅弁を売っていたのだ。Tさんは「鶏めし」、私は「秋田肉ざんまい」という駅弁だ。鶏肉、豚肉、牛肉の入った亜駅弁で、とても美味しかった。東北は美味しい駅弁が多い地方でもある。
(RICOH GR)
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2018.09.30 Sun l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
男鹿線
 秋田駅に戻ってきた。予定ではここからバスに乗って秋田城に行く予定だった。秋田城とは奈良時代にエミシの支配のために大和朝廷が造った城である。出羽国は秋田城。陸奥国の支配は多賀城(宮城県多賀城市)で行なっていた。その秋田城は現在歴史公園となっている。そこに行く予定だった。だが、秋田に戻ってきたら天気が曇りになったのと、昼食に恵まれないまま来たので、秋田駅で一休みすることにした。
 駅構内の売店でおにぎりを買ってベンチで食べたあと、男鹿線の乗り場に向かった。予定より一本早い便である。男鹿線の乗り場は線路が行き止まりとなっている。線路には真新しい車両が停車していた。
 EV-800という形式のこの車両。充電式モーターで走る。男鹿線は非電化でディイーゼルカーしか走れないのだが、JR東日本はこういう短距離リーカル船に充電式車両を導入したい意向なようだ。車両の側面には男鹿(おが)の名物「なまはげ」のイラストが添えられ、男鹿寄りは赤、秋田寄りは青と車両の色が異なる二両編成であった。
 秋田を出た列車は追分まで奥羽本線を走る。特急も走る本線だがら線形がよく、列車は電車並みの加速で走っていく。充電式車両おそるべしである。ただ、車内までも通勤型電車のような座席なのは残念なポイントだ。ローカル線に乗るということで、地酒の小瓶を買って乗り込んでいたのだ。ロングシートで酒を飲むのは気が引けた。
 追分を出て、いよいよ男鹿線に入ると速度は若干下がった。それでも、加速がいいので体感では速い。車内はそれなりに乗客が居たが、男鹿線に進入したのを機に、Tさんと乾杯した。
 男鹿線はワンマン運転である。無人駅で降りる場合は一番前のドアから降りて、運転士に切符を渡す仕組みとなっている。とある駅で、降車のために車内前方に移動をしていたおじさんから「楽しんでいるね」と声を掛けられた。これだから通勤型車両で飲むのは気恥ずかしさがあるのだが、こういうコミュニケーションは嫌ではない。
 終点の男鹿は港町だ。以前訪れた時と異なり、駅舎が改築されて綺麗になっていた。造りの新しさからすると近年に改築されたようだ。風情はないが、綺麗な駅は悪くはない。
 駅から少し歩くと港だ。以前訪れた時は食堂に入ってあんこう定食を食べたが、その食堂の場所が思い出せない。もとより、夕方な今、何かを食べるつもりもないのだが。
 風がかなり強いのは台風の影響だろうか。飲み残しておいた地酒で改めて乾杯し、港を眺める。歩いている人は居ない。海を眺めながら酒を飲んでいる人も勿論いない。観光客そのものが歩いていない。そんな曇天強風な夕方である。
 男鹿でゆっくりして、予定の列車で帰る手段もあったが、天気がすぐれないので折り返しの列車で帰ることにした。当初の予定便である、その次の列車なら旧式のディーゼルカーで、これはクロスシートなのだが、折り返しの列車なら秋田に一時間ほど早く着く。その分、夜の秋田での行動に余裕が持てる。Tさんと相談し、そちらを優先することにした。
 帰りの列車は高校生で賑わっていた。女性アイドル好きのTさんとアイドルの話題を話していると、斜め向かいの男子高校生がこちらを見てきた。見てきただけで、それ以上のコミュニケーションはない。そのよそよそしさも通勤型ならではである。
(RICOH GR)
2018.09.29 Sat l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
由利高原鉄道
 二日目、横手から奥羽本線で秋田へ向かった。天気は晴れ。台風が接近しているという予報だが、秋田県は大丈夫そうである。
 秋田駅のコインロッカーに荷物をしまい、蕎麦屋で朝食としたあと、羽越本線で羽後本荘に向かった。秋田に向かう列車は通勤客が多かったが、秋田から出る列車は空いている。
 羽後本荘駅のJR駅舎内に「由利高原鉄道」の切符売場があった。JRと第三セクターの乗り換え駅では駅舎が分離している事が多いが、ここは駅舎もホームも同居している。駅員さんの勧めでフリー切符を購入。
 羽後本荘は昔泊まった事がある町だが、以前と比べても駅周辺から店が消えたように思えた。地方では全国的な現象だろうが、旅人には寂しく思える事である。
 ホームに戻ると、白とオレンジのディーゼルカーが停まっている。車内は木のおもちゃと木の座席とテーブルが備えられた「おもちゃ列車」という車両だ。しかも、これから乗る列車は「おもてなし列車」という愛称が付けられ女性乗務員による観光案内が付く。今日は制服姿の女子高生が社会実習で助手を務めていた。
 由利高原鉄道は「鳥海山ろく線」という路線名が付けられており、その名のとおり鳥海山の近くを走る。線路の周りは田圃がひたすら続く。田園風景をのんびり眺めたい人にお勧めのローカル線である。しかも、どの駅の駅舎も形が異なり、それぞれが古びた味わいを持つ造りなのだ。
 沿線の見どころ、駅の特徴などを乗務員さんが案内し、助手の女子高生がパネルを持つ。車掌はのどか。和んでいるうちに終点の矢島(やしま)に着いた。
 矢島駅は改築で待合室と観光案内スペースが広がっていた。本棚には鉄道漫画が並んでいる。更には、売店も併設されており、おばあさんが店員を務めている。そのおばあさんから水の差し入れをいただいた。
 矢島は城址もあり、武家屋敷もあるそうなので、じっくり歩いてみたかったが、この後の列車の接続がよくないため、40分ほどの折り返しで羽後本荘に戻る。またいつか訪れたい。
 帰りの列車は同じ車両だが、今度は常務員の居ない通常運行だ。祭りの後の寂しさのような静かな空間で、過ぎゆく車窓を眺めた。
(RICOH GR)
2018.09.28 Fri l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
横手
 平泉から南の方角に向かって東北本線を進んでいく。つまり東京方面に向かっているのだが、今回のプランは自分と同行者の行きたい所を加味して作った苦心作なのである。ゆえに行程はジグザグとなっている。私達は北上で降り、今度は北上線で北西に向かう。
 北上線は学校帰りの高校生でほとんど席が塞がっていたが、車両は一両である。以前に乗った時は確か二両だったと記憶している。それで間に合ってしまうくらいの乗客数なのか。
 北上線は非電化路線なのでディーゼルカーが走る。しばらく平地を行くが、やがて山間部へ入っていくと、エンジン音が唸り始めた。北上のこの辺りは遺跡がある地域で、それも散策してみたかったが今回は時間がなく見送る。
 山間部に入って、ほっとゆだ駅で車内はだいぶ空いた。北上から山間まで通学している高校生がそれなりに居るのだ。ここは駅に温泉が併設されている事で知られる。降りてみたい駅で、後ろ髪を引かれる思いで駅舎を見送った。
 北上線の終点は秋田県の横手だ。岩手県は曇り時々雨だったが秋田県は晴れなようで、空は青く、その先にオレンジの夕陽が落ちていく。
 今夜の宿泊地は横手。乗り換えで降りたことはあるが、駅の外に出るのは初めてだ。駅舎は近年建て替えられたらしく綺麗だ。駅前ロータリーから延びる駅前通りは商店街のようなものは形成されておらず、昭和建築な家並みが道路沿いに並ぶ。
 予約した旅館は住宅街の中にあるらしい。旧街道の道沿いなようだが、現在は道幅の狭い生活道路のように地図では見受けられた。案の定、道に迷い地図を確認していると、通りがかった婦人に声を掛けられた。旅館名を告げると、前まで案内してくれるという。親切に感謝し、談笑しながらついていく。
 ご婦人に何度も頭を下げ、旅館に入った。私の好きなビジネス旅館が今夜の宿である。部屋に入って宿帳を記入し、くつろいでいると女将さんが西瓜を持ってきてくれた。横手は西瓜が名物だそうだ。夏の味がした。
 一息ついてから外に出る。すっかり日が暮れた横手の町を歩きながら、Tさんが目星を付けた店の前に行き、私が店構えで判定するという、いつもの旅先での店巡りのパターンで夕食の店を決める。こじんまりとしているが綺麗な玄関の店が今夜の店となった。
 中はカウンターと仕切りのない座敷だけの店で、私達は座敷に通された。常連がカウンターですでに盛り上がっている。
 注文はご主人の選んだ今日のメニューに沿ったおまかせコースを頼む仕組みとなっている。コースは品数に合わせて何通りかあり、私達は1500円コースを選んだ。
 肉じゃが、サンマの塩焼き、刺身盛り合わせ等々、出てくる料理が全て美味しい。酒は秋田の有名銘柄のひとつ「高清水」。そして、仕上げは秋田名物「稲庭うどん」が出てきた。美味のオンパレードである。カウンターに座る常連客から聞こえてくる話題も文化と歴史の話題。奥さんも楽しい方で、家庭的な店だった。そう、まさに民家にお邪魔して飲んでいるような、そんな気分である。
 満腹して店を出た。散歩を兼ねて、こぶりな歓楽街を歩いてみたが横手の夜は早く、スナックの集結するビルだけが明かりを灯していた。私達はコンビニでビールを買い、バス停のベンチに座って飲んだ。ふと、空を見上げると、そこには無数の星がきらめいていた。耳をすませば、秋の虫の音。
(RICOH GR)
2018.09.26 Wed l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
平泉
 バスで水沢駅にやってきた。新幹線の水沢江刺の駅前が閑散としていた印象もあって、Tさんが「割と町だね」と一言。少し遅い昼食は駅構内にあるそば屋さん。平屋の小ぶりな駅舎に似合う素朴な味。おいしかった。
 東北本線の各駅停車に乗って次は平泉に向かう。電車は通勤型。東北の鈍行はこんな型ばかりになってしまった。JRが関東に本社のある会社だから思想が都会型なのだろうか。明日以降もこの型の電車に何度も乗ることになる。
 平泉駅前には数軒レンタサイクルがある。町中を巡回する路線バスもあり、こちらは運賃150円、一日券400円と安い上、15分間隔で走っていて便利なのだが、気分転換も兼ねて自転車を選んだ。
 しかし、駅前で自転車を見定めていたら小雨が降ってきた。選択失敗か。対応にあたってくれたお姉さんは親切な方で、合羽と案内マップをくれ、コースの説明もしてくれた。
 まずは目指すは中尊寺だ。途中、無量光院跡がある。奥州藤原氏三代秀衡が建立した寺院。宇治平等院を模して造られたと言われ、その平等院を凌ぐ規模だったという。火災で焼失し、現在は池が残るのみだ。雨が激しくなってきた。往時を偲びながらち中尊寺に向かう。
 中尊寺は地図だと印象が湧かなかったが、丘の上に造られている。坂を登っていくことになるが、平日だというのに結構観光客が多い。さすが全国的知名度の高いお寺だ。
 本堂にようやく辿り着き、参拝。廊下にも上がらせてもらったが、とても落ち着くお堂だった。奥州藤原氏の唱えた、身分にかかわらず誰もが極楽浄土に行けるという思想は、今も息づいている。訪れた人々を優しく包み込むような空気が存在していた。
 中尊寺はかなり広く、すべてをゆっくり見ている時間を作れなかった事を悔やんだ。向かうは世界遺産となった金色堂だ。ここは800円の拝観料を払って入ることになる。
 奥州藤原氏初代清衡が再興した中尊寺。そして金色堂は、その浄土思想の中心である。案内放送に耳を傾け、しばし見やった。襟を正させるような佇まいであった。
 中尊寺からは、町を南に向かって道路を走っていく。今日は車の通行も少なく、快適なサイクリングだ。雨も上がった。やがて、目的地の毛越寺(もうつうじ)が見えてきた。
 毛越寺は奥州藤原氏二代基衡が再興したもので、火災で焼失した本堂は近代に再建された。平安文化を取り入れた庭園が境内に広がり、中尊寺同様に世界遺産となっている。
 池のほとりに立ち、往時を偲んだ。平安時代、奥州藤原氏は京の都から役人が視察に訪れた際は、この毛越寺に案内したと伝わる。平泉は中国大陸から僧侶や書物や文化をたくさん向かえ、京とは違う文化を誇っていた。その都とは違う文化ではなく、平安文化を取り入れた庭園が広がる寺院に案内したという訳である。
 平泉は平安時代の日本に於いて、京、博多と並ぶ日本三大都市であり、人口は京を上回っていたとも言われる。奥州藤原氏による政治の仕組みも先進的なものであった。だが、時代は武士の時代と変貌していく。源氏によって滅ぼされ(きっかけは源義経をかくまった事とされるが、それが本当の理由ではないように思われる)、時代は鎌倉時代になっていった。
 毛越寺の前の道を東に直進すると平泉駅である。電車の時間まで少しあるので、自転車を返却後、駅前の土産もの屋でTさんが買ってきた前沢牛コロッケ(前沢は隣町)を食べ、金色堂ビールを抱えて通勤型電車に乗り込んだ。
(RICOH GR)
2018.09.25 Tue l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
胆沢
 上野駅は北の玄関駅であった。かつての話である。東北新架線、上越新幹線、北陸新幹線が東京駅から出発するようになって、今は只の中間駅のようになってしまった。だが、ターミナル駅だった面影は、今も13番線からの地上ホームに残照のごとく漂っている。
 上野駅中央改札でTさんと待ち合わせ、地上ホームの脇にある新幹線乗り場入口に向かう。気分は地上ホームから発車する東北本線特急への乗車だ。もっとも、乗ってしまえば、あっという間に白河の関も、杜の都も過ぎ、岩手県になる。新幹線は旅情を味わう乗り物ではなく、利便性に感謝する乗り物である。
 水沢江刺駅は在来線との接続のない新幹線だけの駅で、そのためか駅の周りには町が形成されていない。構内には、1993年の大河ドラマ「炎立つ」(ほむらたつ)の出演者の手形レリーフが展示されている。
 閑散とした駅前ロータリーからタクシーに乗る。事前調査で当てにしていた東北本線水沢駅行きのバスの時刻が変更されていて、既に発車したあとだった。情報にまみれた今の時代でもこういう事があるのだ。まあ、スタートから旅らしさ満点ではある。
 タクシーに乗ったので水沢駅ではなく、目的地に直行する事にした。予定でも水沢駅からは、ちょうどバスがなくタクシー利用となっている。15分ほどで、その目的地に着いた。田圃の中に綺麗な建物が立っている。「胆沢埋蔵文化センター」という。胆沢は「いさわ」と読む。
 ここ胆沢は、かつてこの辺りの重要拠点と言える地域だった。蝦夷(エミシ)と呼ばれる縄文系先住民が東北で勢力を誇っていた。大和朝廷の構築した社会とは別の社会、つまり「別の国」が東北にあったという訳だ。
 エミシの人達は平和に自分たちの社会を築き暮らしていた。畿内からやってきた朝廷の人達とも、それなりに巧く関係を築いていたのだが、奈良時代末期、反乱が起こった。
 なぜ反乱が起きたのかは、苛政が行なわれていたからと推測されているが、とにかくエミシたちは蜂起した。そのリーダーとなった「アテルイ」という人物が、ここ胆沢の長(おさ)だったのだ。
 埋蔵文化センターの一階ロビーに、アテルイの等身大人形が立っていた。一階展示室はこの地域から出土した土器などを展示し、土地の歴史についての説明が加えられている。それを一通り見たあと、二階に上がった。二階はエミシについての説明が主である。11時30分より映画を上映するというので、貸し切り状態で席に着く。館内にいる客は私達だけなのだ。
 映画は30分間、アテルイとその盟友モレが朝廷と戦った歴史を紹介するものであった。私は小説や歴史本で、ある程度の知識を付けてきているので、その復習として見させてもらった。エミシの戦いについて詳しくない人には、とてもわかりやすい内容であったと思う。
 埋蔵文化センターを出て、近くのバス停に向かう。バス停の横に広がる草地は胆沢城の跡だ。アテルイたちが築いた砦の跡に、エミシ討伐を朝廷に命じられて東北にやってきた坂上田村麻呂が築いた城だ。
 田村麻呂が来るまでの朝廷軍はアテルイたちに苦戦を強いられていた。田村麻呂も苦戦するが、激戦の末にエミシたちは降伏を申し出た。蜂起してから三十年近い歳月が過ぎ、時代は平安時代になっていた。
 田村麻呂はアテルイとモレの力を高評価し、完成して間もない平安京、つまり都に連れていく事にした。二人の実力に見合った役職を与えてもらおう。そう考えたのだ。
 しかし、朝廷はそれを許さなかった。アテルイとモレは河内に連れていかれ(現在の大阪府枚方市の牧野と言われる)処刑されてしまう。
 現在の胆沢城跡は、その広大な敷地に往時を偲ばせてくれるのみである。バス停のポールは斜めに曲り、歩く人もほとんど居ない。だが、かつて此処で壮大な物語があった事は、永遠に語り継がれてほしく思った。
(RICOH GR)
2018.09.24 Mon l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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 先日、三泊四日で北東北に行ってきました。この旅の写真と話は改めて書くとして、同行者との会話で、最近フィルムカメラへの回帰へ心が向いている。
 同行者は八月の旅にフィルムカメラのリコーR1sを持っていったそうだ。非常にコンパクトで写りもいいAFカメラだ。このカメラのコンセプトをベースにして後に「GR1」が生まれた。
 手軽でコンパクトなカメラとはいえ、そこはフィルムだ。バシバシ撮るという訳にはいかない。じっくり撮るスタイルとなる。でも、旅先で風景を撮るのであれば(予算が許すのなら)フィルムカメラで撮るという行為は、より旅を楽しくするのではないかと思えた。じっくり風景と向き合える気がする。
 旅の撮影では記録写真も撮るが、そういうものは性能が良くなった今時のスマホを使えばいい。この風景はじっくり撮りたいという時、フィルムカメラを使うのだ。同行者も、おそらくそんな感じでリコーを使ったのだろう。
 じっくり撮るという行為を楽しむのであれば、デジタルでも可能だ。いいレンズ、いいカメラを使って、じっくり楽しみながら撮るのは楽しいものだ。でも、撮影という行為の面白さでは、フィルムカメラ(特にMFカメラ)の方が楽しいと私は思う(あくまで私見)。
 ただ、シチュエーションによっては絶対デジタルという場合もある。動きモノが好例だ。ブツ撮り、ポートレートも、デジタルの使いやすさが如何なく発揮されるシチュエーションだろう。
 要するに、旅という気ままなひとときだからこそ、まったりとフィルムを使うのが楽しいよね。という話なのである。無人駅のホームで遠くに見える山々を写す時。海岸道路を歩きながら岸壁と夕陽を撮る時。そんな時は別に慌てる必要もないし、失敗を恐れるのなら、それに備えて「今時のスマホ」で押さえの一枚を撮っておけばいい。
 同行者はそろそろライカを使ってみたいと言った。我が家に預けたままのニコンF3をもっと使ってあげてくれと思うが(自分が使うか笑)、レンジファインダーカメラを使ってみたいという気持ちはよくわかる。それこそ、デジタルで味わう事が難しい世界だからである。
 デジタルのレンジファインダーカメラあるよというツッコミも聞こえてきそうだが、そんな富豪カメラはとりあえず忘れておく。少し安めの国産機もあるが、あちらは中古で見かけることが少ない。あとは、気分だけレンジファインダーのフジのX100シリーズを使うかだろう(私も同行者も所有している)。
 M型ライカは、これだけデジタルな時代になっても中古相場が高いので、バルナックライカを欲しいと同行者は言った。安いのには理由があるのだと私は説明したが、不便も楽しみたいと同行者は言った。底蓋引き上げ式はオリンパスペンで経験済みだし、巻き上げノブも以前所有していたアイレス35C(私がおすすめして買わせた)で経験済みだ。その同行者なら、バルナックライカを持つ姿は「カメラ女子」していて似合いそうではある。
 そんな同行者の話を聞いていたら、私も欲しくなってきた。と言っても、私の場合はライカマウントのミノルタ機である。
 ライカMマウントでは、ライツミノルタCLというライカが設計してミノルタが生産したMFカメラがあって、以前からこのカメラがすごく欲しいのだ。電池がなくても動き(電池は露出計の作動に使われているだけなので、撮影部品には使用されていない)、小型なボディがいかにも「旅カメラ」だ。写真家の北井一夫さんみたく、このカメラにモノクロフィルムを詰めて、日本の村々を歩いてみたくなる。
 バルナックライカのLマウントなら、キヤノンやミノルタからもカメラとレンズが出ている。キヤノン7というカメラは以前から欲しい一台だ。何度か中古店で触った事があるが、ファインダーが見やすかった。
 ただ、ミノルタファンとしては、Lマウントカメラを買うなら、まずはミノルタ35シリーズ。それも、最終型のミノルタ35Ⅱbだ。このカメラは国産他社のレンジファインダーカメラと異なり、ライカにも似ず、コンタックスにも似てない、オリジナルなテイストと機構を持つカメラだ。巻き上げがレバー式なのはバルナックライカより先進的でさえある。
 要するに、私はライカマウントでミノルタロッコールレンズが使いたいのだ。あと、コシナのレンズ(フォクトレンダー、カールツァイス)も。
 思案を巡らせているうちに、ロッコールレンズで旅写真を撮りたいのなら、現在所有の機材でも出来るではないかと冷静になってきた。そんな訳で、ライカの事は一旦忘れて、冬の旅はミノルタSR-1sに28ミリと50ミリのレンズを持って出掛けてみようかなんて、思っている今日この頃である。
※ 写真は、そのミノルタSR-1sにMCマクロロッコール50mm F2.8を付けた所である。しかも、根元には純正の等倍アダプターを付けている。これで等倍マクロ撮影が出来る(レンズ単体だけだとハーフマクロである)。レンズそのものは、とても綺麗でお気に入りの一本。このレンズをNEX-6にマウントアダプター経由で付けて撮った写真が、当ブログにも掲載されている。興味のある方は、カテゴリー「湘南(藤沢~二宮)」を開き、二宮の吾妻公園に行った時の写真を参照してください。
2018.09.22 Sat l カメラエッセイ l コメント (0) トラックバック (0) l top
奥牧野
 前川橋を渡り、再び道路に戻ってきた。この道を更に先に歩いていくと、すぐに県境となる。その先は山梨県秋山村だ。
 東京と神奈川の間に流れる多摩川のような「隔たり」は境目を強く意識させるものだが、地続きで違う県になるという感覚は、なかなか不思議なものである。ここもカントリーサインがなければ県が変わった事はわからない。それほど、境目を意識させるものがないのだ。
 せkっかくなので山梨県まで足を踏み入れる事にした。暑い中で歩き通したので、これ以上遠くはいかないが、秋山村への初訪問である。山と山の間を流れる川沿いに小さな集落がある。中央本線の車窓と似ていると思うのは、ここが山梨県だという印象による刷り込みだろう。
 秋山村についての観光案内板が県境の道路脇にあった。真新しい看板だ。それによると、色々な伝承や史跡がある所らしい。「民話の里」というキャッチフレーズ野村だそうだ。「金山」という文字も見つけた。武田家は金山開発に熱心だったから、ここもそのひとつだろうか。
 旧藤野町牧野も面白い所だった。やまなみ温泉に始まり、山奥の城跡。来てよかったと思える。そして、秋山村もいつかゆっくり歩いてみたいと思った。
 バスの時間まで少しあったので、奥牧野の集落とバス停の間にあった酒屋兼雑貨屋のような店の自販でサイダーを買った。なんと50円。店先で積み込みをしていた店員さんが挨拶をしてくれた。相模原市緑区、旧津久井郡藤野町牧野。のどかで良い所である。
(SIGMA DP2)
2018.09.19 Wed l 旧津久井郡・相模原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
奥牧野城
 吊り橋を渡ると、その先には奥牧野城山という小山がある。右手は土が盛り上がっていて、確かに城址という感じに見える。案内板があった。
 案内板によると、ここ億牧野城は小田原北条家が甲斐国の武田家との国境防衛のために拠点とした城だそうである。武田信虎(武田信玄の父)が武田家当主だった時代に、ここで合戦も行なわれていると伝わる。
 現在は土塁や郭の跡が残るのみで、しかも木が生い茂っていて昼なお暗く、一人で奥まで入っていく気がしないままに撤退。
 周囲はとても静かで、自然に包まれた場所である。ここに戦国の城があったという事を知るのは、地元の人か城マニアくらいかもしれないが、そういう歴史を刻んだ土地なのである。
(SIGMA DP2)
2018.09.16 Sun l 旧津久井郡・相模原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
奥牧野
 奥牧野のバス停のあたりは緩い下りになっており、道はさらに右に曲がる。なかなか複雑な地形。そのカーブの所に生活改善センターという建物があり、路傍には石碑が立っている。そこから分岐する小道があった。
 小道は人道で、建物の後ろを回り込みながら下りとなっている。やがて前方に吊り橋が現れた。
 下を流れるのは秋山川で、この橋の先で大きく蛇行している。その流れが天然の水堀となる。そう、橋を渡った向こうには城址。川に沿う小山がそれである。名は奥牧野城という。吊り橋の定員は10人。野趣に富んだ散策になってきた。
(SIGMA DP2)
2018.09.15 Sat l 旧津久井郡・相模原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
奥牧野
 奥牧野の集落から道を更に西に向かう。やがて、左に大きくカーブして、そこに神奈中バスのバス停があった。
 バスはここが終点だが、集落の所に設けられた富士急山梨バスの奥牧野バス停からは山梨県上野原方面に向かうバスが発着している。ただし、こちらは一日数本なので、接続を調べていかないと乗り継ぎは難しいと思われる。
(SIGAMA DP2)
2018.09.14 Fri l 旧津久井郡・相模原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
奥牧野
 暑さは衰えることなく、私は黙々と道を歩く。この道は山梨県に通じる道で、もう少し行くと県境である。
 柳瀬橋というバス停の辺りで秋山川を越えると、だんだんと集落に近づいている感じが伝わってきた。牧野入口というバス停にゴールが近いことを確信する。
 奥牧野のバス停はまだ出てこないが、ようやく奥牧野の集落に到着した。大きな集落ではないが、酒屋のようななんでも屋がある。商店のある集落は、この道沿いでは久々である。やまなみ温泉バス停を出てから、一時間ほどの時間が流れていた。
(SIGMA DP2)
2018.09.13 Thu l 旧津久井郡・相模原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
牧野
 温泉を出たあとは、周囲を軽く散策し、やまなみ温泉バス停に戻った。ここから奥牧野行きというバスに乗るのだ。しかし、時刻を勘違いし(24分発を42分発と思っていた)バスに乗れなかった。
 次の奥牧野行きは一時間半後だ。出発前に地図を眺めていて、少し距離がある事は知っているが、温泉以外に時間をつぶせるものが無さそうなここで、次のバスを待つことは諦め、暑い中を歩くことにした。
 先ほどバスで通ってきた道を戻り、賽の神(さいのかみ)というバス停のある二叉路で左に折れる。旅情溢れるバス停名で、ゆっくりしていきたいところだが、暑さで足は先に向かう。
 やまなみ温泉方向を斜めに戻るように道は延び、森の中を抜けていく。やがてカーブで右に曲がると緩い上りになり、所々家のある空間に出た。左手にやまなみ温泉の周辺を見下ろす。森を抜けたため、日差しが直に当たり暑い。帽子は被っているが、風で飛ばされそうでもある。秋だったら散策にいい道かもしれない。
 バス停はこまめに設けられており、無人地帯ではないのが心強い。この辺りはやまなみ温泉と同様、牧野という地名になるが、字名は堂地というのか、同名の自治会館やバス停もある。宮ノ前というバス停も旅情を感じる。だが、今は暑さの中、奥牧野へ向かう。
(SIGMA DP2)
2018.09.12 Wed l 旧津久井郡・相模原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
やまなみ温泉
 最寄りバス停はひとつ手前の「やまなみ温泉入口」なのだが、距離はさほどない。集落を眺めながら歩いて温泉に向かう。
 道路を挟んで低い高台に、片方は小学校、片方は温泉という風に建っている。学校の名が牧野なのは、このあたりの町名である。
 やまなみ温泉は綺麗な建物で、結構新しい施設なようである。700円を払って入ると、そこは休憩ロビーと食堂にお土産屋が一緒になったスペースで、脇に浴室への入口がある。制限時間があって、三時間以内ということだそうだ。入湯券にその時間が書かれてある。私は14時06分という事になった。
 浴室は内湯が二つほどと、露天風呂がある。露天風呂の周囲には芝生もあるが、そこは立ち入り禁止とのこと。まずは露天風呂から楽しんだ。
 神奈川県のはずれの山中という事で、さほど混んでいないだろうと予想していたが、結構賑わっている。露天風呂にも絶えず数人が入っている状態だった。
 入浴後、ロビーで飲み物を買って休憩。昼食時ということもあって、食堂も繁盛している。
(SIGMA DP2)
2018.09.10 Mon l 旧津久井郡・相模原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
やまなみ温泉
 バスは15分ほどで終点のやまなみ温泉に着いた。川を挟んだ山と山の間に広がる緩やかな傾斜地に開けた集落といった感じで、近くには小学校もある。校庭や校舎は道路より一段高い所に設けられている。
 バス停には割と新しい待合室が設置されており、トイレもあった。ここからは二方向にバス路線が分岐しており、小型バスが運用されている。
 ちょっとしたローカル線の乗り換え駅な気分で周囲を見ながら、温泉に向かった。
(SIGMA DP2)
2018.09.09 Sun l 旧津久井郡・相模原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
藤野
 中央線から中央本線を乗り継いで藤野駅にやってきた。神奈川県内にある中央本線の駅はこことお隣の相模湖駅だけだ。藤野の次は山梨県の上野原となる。
 ホームは狭く、そのサイズに合わせて階段も狭い。その先に小さな駅舎がある。駅舎を抜けるとバス乗り場があり、神奈川中央交通のバスが停まっていた。
 狭い駅周辺の道には集落が寄り添い、町を見下ろすように山々が迫っている。私は、やまなみ温泉行きのバスに乗り込んだ。
 バスは駅前集落を抜け、日連(ひづれ)大橋で相模湖の西端を渡ると、山道に入っていった。湖とつながる川の斜面に沿うように道は曲がり、上り勾配となっている。赤沢というバス停の辺りは斜面に家が並んでいた。残暑の強い日差しは、道路を覆う木立ちで遮られ、清々しい涼しさを届けてくれている。
(SIGMA DP2)
2018.09.08 Sat l 旧津久井郡・相模原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
IMG_2725_R.jpg
 先日、久しぶりに大宮サッカー場(NACK5スタジアム)に行ってきた。J2の大宮アルディージャ対レノファ山口の試合である。
 お誘いいただいた人が最近Jリーグに興味を持ち始め、大宮サポーターになりかけ状態なのである。そこで、案内と解説役として私が同行した。
 その方の説明だと、最近大宮は女性サポーター獲得にも力を入れているという。Jリーグは(あまり報じられない事なのだが)女性サポーターは結構多い。あれだけ男っぽいイメージの浦和レッズも女性サポーターの姿は結構多い。
 大宮駅に着くと、エスカレーターの前の子が鞄に大宮のキーホルダーを付けていた。エキナカの充実している大宮駅構内にはオレンジのグッズを身に付けた家族連れもちらほら。
 道を間違えながら何とか氷川神社の参道に着いた。ここを奥に向かうとスタジアムがある。
 大宮サッカー場はスタンドとピッチとの距離が近く見やすい。その臨場感は初心者が充分楽しめる良い環境だ。そして、Jリーグといえば「スタジアムグルメ」である。熊谷カレーと肉巻きおにぎり棒を買う。どちらもとても美味しい。
 試合は非常にエキサイティングなものとなった。点の取り合いだ。3-4で迎えたアディショナルタイム。敗戦という文字がちらつき始めた頃、ゴール前でキーパーの弾いたボールを押し込み同点。4-4の引き分けに持ち込んだ。
 昨年はJ1だった大宮。一年での復帰が射程圏内となり、スタンドは大いに沸いた。子供からお年寄りまでスタンドを埋めたオレンジのタオルマフラーが軽やかに振られる。写真は試合終了後、サポーターのもとに挨拶に来た選手たちの姿である。
 ※ 明日から旅に出かけますので今週は更新が止まります。今後の掲載予定としては、その旅の写真のアップの前に、藤野(相模原市緑区)の写真をアップする予定です。
(iPhone5)
2018.09.02 Sun l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
幸谷
 小金城址駅を出た電車は、少しずつ都会の中へ向かっていく。線路の周囲に建物が並ぶようになってきた頃、幸谷(こうや)駅に着く。
 幸谷はマンションの一階にホームがあるという変わった造りで、改札を出た所にある待合ベンチの一角を抜けて外に出ると、その全貌を知ることが出来る。建物と建物に挟まれた狭い空間にある駅である。
 駅前の細い路地を歩くと、すぐに賑やかな空間に出ることが出来る。ここはJR新松戸駅の駅前だ。幸谷の方が先に出来た駅で、新松戸は武蔵野線開業時に常磐線と接続させるために出来た。
 新松戸駅前は人も車も通行量が多く、そんな賑わいの中を流山線の細い単線のレールが横切っている様が面白い。
 そんな事を想っていると、馬橋方面から電車が近づいてきた。それにしても、踏切が鳴ってから電車が来るまでの時間の長いこと。それだけ低速運転という事なのだ。
 三時間ほどかけて沿線を回ってきた自分には、JRの賑わいよりも、このローカル線の方を好ましく感じている。幸谷駅に戻ると、名残惜しい気持ちになってきた。次は起点の馬橋。今回の旅もゆっくりまったり終わろうとしている。
(SONY α7Ⅱ LENS:MINOLTA AF 24mm F2.8 NEW ※LA-EA4使用)
2018.09.01 Sat l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top