峰山
 久留和から葉山方面に向かって歩く。長者ヶ崎からバスに乗るつもりで、夕日の時間に合わせて歩いた。
 峰山のあたりの海が広がる景色は素晴らしく、何度訪れても飽きない。少し日が傾いてきた頃の時間は特に良い気がする。
 峰山バス停にちょうどバスが停まった。今日もひと段落。あとは夜を待つばかり。そんな自然の声が聞こえてきそうな風景である。黄昏を歩く日常の人々と、非日常の人。海岸を歩くと、人はとても心がリラックスしているのだと思ったりする。
(RICOH GR)
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2016.12.30 Fri l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (2) トラックバック (0) l top
久留和
 関根川に沿って下っていく。太陽が西に少し傾いただけで、既に川のまわりは日陰になっている。少しずつ日が差す風景になるとともに海岸沿いの出た。
 ここから葉山方面に向かって歩くことにした。道路からは海がキラキラ光っているのが見渡せる。冬は夕方が早い。三時になろうかという時間なのに、もう黄昏色である。でも、こんな時間の海岸の景色が好きだ。
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2016.12.29 Thu l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (0) トラックバック (0) l top
湘南国際村
 里山の風景から一変して、丘の上は平成ニュータウンである。道路は大きなカーブを繰り返しながら登っていく。歩道にはそれをショートカットするように長い階段が通じている。敢えてその階段を登ってみた。
 階段を登りきると有名企業の研修施設がいくつか並ぶ空間に出て、そこから更に階段を登っていくと、高そうな家が並ぶ通りに出た。丘の上の新興住宅街は閑静な雰囲気に包まれ、部外者が歩くことがためらわれるところだが、気にせず登っていく。ようやく丘の頂に出ると、そこにバス乗り場があった。湘南国際村へは、京急の汐入駅や横須賀線の逗子駅と二方面からバスが出ている。
 帰りはいずれかのバスでと考えながら、ちょうど昼時なので持参のパンを抱えて展望台に向かう。展望台には、研修なのか何かの会議か、或いは従業員なのか、昼休みらしき時間を過ごすスーツ姿の男女が結構な数でくつろいでいる。ここからの眺望は良く、葉山方面の海がよく見える。記念写真を撮っている人が多いので、やはりここに勤務している人々ではないようだ。研修か会議の人々だろう。
 湘南国際村は研修施設などが入った綺麗な建物が並び、緑に包まれた丘の風景に近未来的な人工物の装飾を加えたような眺めになっている。丘の上なので海を眺めるには良いが、自分が今いる空間は田舎なのか都会なのかわからないような違和感が迫ってくる。
 一休みしたあと、私はバスには乗らず、もう一度子安の里の脇を通って関根川を下っていくことにした。先ほど歩いてきた景色が恋しくなったのかもしれない。
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2016.12.28 Wed l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (2) トラックバック (0) l top
子安の里
 子安の里を40分ほどかけて一回りしてきた。先ほど通った入口に戻り、周辺を歩く。子安の里の入口から奥に丘がそびえ、湘南国際村に向かう道がその方向に延びている。丘の上には近代的な建物が並んでいる。
 私が立つ場所には畑が広がっていて、大根が干されていた。三浦半島は大根の名産地である。
 湘南国際村が出来るまでは、子安の里に至る道は私が歩いてきた関根川沿いの道であり、山の奥にある里という雰囲気が今よりずっと濃かったそうである。私の持っている1993年の神奈川県の道路地図を見ても、それが窺える。その頃とは、子安の里の風景自体は変わっていないと思えるが、その周りの風景が大きく変わってしまったのだろう。
 そんな事を思いながら、私は丘に上がってみることにした。
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2016.12.26 Mon l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (0) トラックバック (0) l top
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 子安の里をのんびりと歩く。里山なので坂道が多い。のどかな緑と青い空。ぐるぐると歩いているとお寺に出た。
 西行院というそのお寺は、木陰に本堂があり、とても静かな場所にあった。
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2016.12.24 Sat l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (0) トラックバック (0) l top
子安の里
 子安の里は山あいに家が点在している。農家が多いが、焼き物の工房もあったりする。こういう静かな環境はもの作りに没頭できるだろうなと思う。
 道なりに上がっていくと頂のような場所に出た。そこから窪地を隔てて向こうにも山が並んでいる。あたりは畑である。その道を手前に戻っていくように下っていくと、観音像の石仏が並び、御札を持った猿の庚申塔という珍しいものがあった。
 尾根道を辿り更に歩いていくと、景色が開け、畑の向こうに海が見える場所に出る。野菜の無人販売もあって、里山の雰囲気が満点なのである。
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2016.12.22 Thu l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (2) トラックバック (0) l top
子安の里
 関根川に沿って道を歩いていくと、やがて山を貫くトンネルから道路が合流してきた。この先の湘南国際村に至る道で、近年開発によって完成したこの道は、同時に山の里であった子安への道路ともなった。
 道路にはカフェやレストランが二軒ほどあったが、それはスルーして私は子安橋を渡って里に入っていく。左前方の丘陵の上には近代的な建物が建っているが、この建物群は湘南国際村である。こちらは後ほど訪れることにして、関根川を渡った私は子安の里の入口を歩き始めた。
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2016.12.21 Wed l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (0) トラックバック (0) l top
御滝不動尊
 国道沿いから山に向かう。久留和海岸から久留和バス停まで歩き、バス停のすぐ横の坂道に入っていく。道は狭い。脇に流れる川は関根川で、川に沿って歩く感じである。
 歩き始めてすぐに渓谷の道となる。横須賀市にもこんな深い谷があるのかと思える道である。谷の入口に庚申塚が並んでいる。訪問挨拶を兼ねて手を合わせる事にする。地元の方だろうか、車で来て庚申塚の掃除をしている人がいたので挨拶。
 道の下に流れる関根川には遊歩道が作られている。渓流で川遊びが出来るようになっているというわけだが、やがて湘南国際村と国道を結ぶバイパスが頭上に現れるので、なかなか静かな場所という感じにはならない。私が歩いている道は谷の稜線に沿いながら小カーブを繰り返し、バイパスを越していく。
 やがて左カーブの所に不動尊が現れる。関根御滝不動尊だ。ここは湧水が出ていて、それを汲みにくる人も少なくないようで、この時もポリタンク持参で車で来ている人が居た。水はとても澄んでいる。道中安全を祈って手を合わせる。
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2016.12.19 Mon l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (2) トラックバック (0) l top
久留和
 今回は横須賀市の西側にやってきた。横須賀というと軍港のある東京湾側のイメージが強いけれど、実は西側は景色も良く、自然の残る良い所である。
 新逗子駅からバスに乗って久留和海岸のバス停で降りた。このあと山に入っていくので、まずは海を眺めておく。空も海も青が綺麗だ。
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2016.12.18 Sun l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (2) トラックバック (0) l top
笹下城
 成就院を参拝したあと、下の台地に下りた。広大な空き地が広がり、そこは宅地造成が行われていた。かつて、ここにある企業の社宅が建っていたそうだ。城の遺構はかなり消失したようだけれど、この広々とした空間と、その後ろの本丸跡方向の高台が、ここが城址であることを思わせてくれる。
 さて、笹下城を語る上で、間宮家と山中城(静岡県三島市)についても語っておきたい。
 笹下城は横浜の久良岐郡を治めていた間宮家の城である事は既に書いたけれど、玉縄北条家に仕えていた間宮家は、豊臣秀吉による天下統一のための関東制圧戦である「小田原合戦」において、最初の戦場となった山中城に多くの兵を送り込んでいる。三島と箱根の間にある山中城は、西方からの敵襲に備えた巨大な城であった。この城の設計を行なったのが、当時の間宮家の当主である間宮康俊であった。戦国期の城作りにおける北条家のノウハウには定評があるが、間宮康俊は武士であるだけでなく、城の設計の天才といえる人物であったため、豊臣軍の来襲に備えた門番のような城として山中城の設計を依頼され、そして、自分の設計した城で行われた最初の戦いで散った。
 圧倒的な数的不利の状況で勇猛果敢に戦ったという話を、小田原合戦後に関東を治めることになった徳川家康が知り、間宮康俊の娘お久を側室に迎えた。更にお久の要望で、山中城の跡地に宗閑寺というお寺を建て、北条軍も豊臣軍も一緒に戦没者を祀った。
 山中城は東海道を挟むように建っていたので、現在も国道1号線を挟むように城址が残り、三島市によって、その機能美に溢れた大きく複雑な堀が復元されて整備されている。城マニアな人も、そうではない人も、伊豆や箱根のドライブの折に、ぜひ一度立ち寄ってほしい。
 「山中城の見どころ」
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM ※135伴換算 27.5-83mm F2.8-4.5)
2016.12.15 Thu l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
成就院
 再び南の方向に歩いて戻り、笹下城のあった辺りに入っていく。笹下城は三本の川を利用して天然の堀としていた。丘は広く、防御力の高い城であったであろう事は、宅地化されて遺構がほとんど無い現在でも十分感じることが出来る。
 戦国時代の城は江戸時代の城のよに天守閣を構えて権力を誇示する「見せる城」ではなく、複雑な堀の配置などを駆使した「戦うための城」である。そのため天守閣は基本ない。本丸は天守閣を建てるためにあるのではなく、戦うための総司令部ともいうべき場所である。川に沿ってあちこち歩いているうちに日が暮れ始めた頃、笹下城の本丸跡に建っているという成就院をやっと見つけた。
 階段を上り境内に入ると、地元の子供たちが境内で遊んでいる。そんな平和な光景が、周辺を見下ろす高台の上に建つお寺に
存在している。本丸はお寺の裏にあったようであり、階段を下りたお寺の下の道は空堀(水を張らない土の堀)の名残りだという。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM ※135伴換算 27.5-83mm F2.8-4.5)
2016.12.14 Wed l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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 笹下から港南中央方面に抜ける桜道という道を歩く。ここは前回の訪問でも歩いている。途中の笹下中学校の手前に丘がある。その丘の上に「天照大神宮」という神社があるので階段を上っていく。
 境内からは眺めもよく、周辺もきれいに整備されている。眺めがいい事で推測できるように、ここはかつて城があった場所なのだそうだ。
 横浜市南部はかつて久良岐(くらき)郡と呼ばれていた。この久良岐郡を戦国時代から江戸時代にかけて領地としていたのが間宮氏である。サハリンのところにある間宮海峡の名前の元になった間宮林蔵は、この間宮家の人物である。
 その間宮氏が戦国時代に本拠としていたのが笹下城。ちなみに、笹下(ささげ)という地名は、間宮氏の発祥地が近江国(滋賀県)の篠筍(ささげ)であることから来ていると言われる。
 間宮氏は、戦国時代に相模伊豆から武蔵、さらに東関東や北関東と関東を広く領地にしていた小田原北条家の分家玉縄北条家に仕えてきた。笹下城は江戸湾を見渡し、房総半島の里見氏を警戒するための城でもあった。この天照大神宮のある丘には「松本城」という笹下城を防備するための支城があった場所だと言われる。
 神社の下からは二方向に急な階段が伸びている。今は宅地化されて遺構はほとんどないが、当時は見張りをするに適した場所だっただろうと思える眺めだ。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM ※135伴換算 27.5-83mm F2.8-4.5)
2016.12.11 Sun l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
笹下
 京急の屏風ヶ浦駅に降りた。東に向かえば海の方角だが、西に向かいながら屏風ヶ浦バイパスを歩く。横浜市磯子区と港南区の境。このあたりも坂が多い。道はなだらかに上りになっている。
 15分も歩いたあたりで大きな交差点に出る。交差点を越えて更に西の方角に歩くと丘の上に上がる坂道がある。そこを上がっていくと陸橋があり、その先に笹下(ささげ)中央公園という公園があった。交通量が多いので車の音がうるさいが、なかなか眺めがいい場所で、上大岡や磯子方面を眺望できる。今から手前の台地に向かうことにする。少し前にも来ている港南中央方面である。前回訪問できなかった場所を回りながら、かつてこの地にあった「笹下城」を偲ぶ史跡散歩の開始である。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM ※135伴換算 27.5-83mm F2.8-4.5)
2016.12.10 Sat l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
美々駅
 苫小牧から千歳線の札幌方面行きの電車に乗る。一駅目の沼ノ端を出たあたりから車窓は湿地帯となる。新千歳空港方面への乗り換え駅である南千歳駅のひとつ手前にある美々(びび)という駅で私たちは降りた。
 美々という地名はアイヌ語の「ペッ ペッ」(川が集まるところを意味する)から付いたもので、いかにも湿地帯らしい地名と言えるが、駅のまわりは人家はほとんどない。いわゆる「秘境駅」である。降りたのは勿論私たちだけだ。
 千歳線は幹線なので通過する列車は多く、ホームは二面三線あり、ホームの造り自体は例によって砂利敷きだが端はコンクリート化されている。車掌さんに切符を渡し下車した。
 上空をジェット機が飛ぶ音が響き渡る中、外に出る。駅のまわりは雑木林になっていて、空き地のような状態になっている。近くに環境センターというゴミ処理場があり、その方向からトラックが走ってくる。とりあえず国道の方に向かって歩く。10分ほどで着いた国道は、次々と車が行きかう賑やかさだ。国道の向こうは空港の滑走路で、周辺は店などもなく殺風景な眺めだ。駅の方に戻る。
 駅に戻ったあたりで日没してきた。駅の近くに一軒だけ人家があることを確認し、駅舎に戻ってベンチに座って備え付けの駅ノートに訪問記念の記入をする。駅ノートの横に誰かが寄附した小型時刻表があるが、2008年のものであった。突然、車がやってきた音がした。一人の青年が駅舎内を見物し、駅ノートを記入して出て行った。
 南千歳方面の電車の時間が近づいてきたのでホームに向かう。美々は秘境駅でありながら、札幌の都市圏なのでICカート「Kitaca」が使える機械が改札に設置されている。訪問記念に帰りは「秘境駅でICカード乗車」を試みてホームへ。すっかり夜になった駅は、ホームを照らす灯り以外に灯りがない。そんな寂しい風景の中を電車がやってくる。美々から新千歳空港ターミナルまでは直線距離で3km、駅にして二駅である。一日の平均乗客数1人。来年春に廃止予定になっている。
(RICOH GR)
※ 2017年3月に廃止が予定されている北海道の10駅
2016.12.07 Wed l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
浜厚真
 浜厚真(はまあつま)駅に着いた。あたり一面は勇払原野で、ディーゼルカーが走り去ってしまうと静寂な空気に包まれた。国道は少し離れた所を通っており、駅前の道は細い裏道みたいな道である。ホームはやはり砂利敷きで、しかも駅前と高低差はほとんどなく繋がっている。厚真町の中心部は、この原野のずっと向こうである。
 駅舎は貨車を移設したもので、北海道ではよく見かけるスタイルである。駅舎内は細長いベンチと用具入れの小部屋があるだけだ。壁には運賃表と時刻表が掲示されている。西日が差しこんできて、中は思ったよりも明るい。貨車時代は無骨な黒い車体だったはずだが、海が近い駅ということで波が描かれ、側面には笑顔が描かれてある。
 駅舎の横には自転車が一台置かれている。定期利用者のものだろうか。JR北海道では、一日平均の利用者が1人に満たない駅を順次廃止しているが、この駅は候補に入っていないので、一日に2人以上の定期的な利用があるようだ。しかし、あたりは枯草ばかりで人家はほとんどない。駅舎内には苫小牧のフェリー乗り場までの案内が掲示されてあったが、この駅から徒歩20分ほどかけてフェリー乗り場に行く人はとても少ないだろう。
 27分の滞在で、苫小牧行きの列車に乗って引き返す。先ほど乗ってきた列車が二駅先の鵡川で折り返してきたものだ。海の方角に太陽が傾き始めた。近くのボックスに座っている女性がスマホを窓に向けて夕日を撮っている。荷物が軽装なので地元の人だと思われるが、思わず撮りたくなるような風景ではある。原野の中に溶け込むように太陽は落ちていく。
 苫小牧駅に着き、千歳線の電車を待つ間、空は夕方の色から青みを増し始めた。
(RICOH GR)
2016.12.04 Sun l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
浜厚真
 石狩当別駅から学園都市線の電車に乗った私たちは札幌を目指す。電車は札幌が近づくにつれて乗客が増えてきて、ローカル線から都市鉄道の旅と様相は変わる。
 札幌ではちょうど昼時なので、駅近くにあるラーメン店に向かったが、有名店であるためか列が出来ており断念。駅前地下街にある店で食べる。味噌とバターのコンビネーションが絶妙なのが札幌ラーメンの旨さである。
 札幌駅の売店でTさんが饅頭を買って、私たちは函館行き特急スーパー北斗に乗り込んだ。ディーゼルカーらしからぬ高速韋駄天っぷりで列車は千歳線を駆け抜けていく。振り子式というカーブを高速で走るための機構を備えたこの車両は、カーブではカクンと車体が傾く。その動きをTさんが「今、振り子ってる」と表しているうちに、いつしか満腹の睡魔に襲われる。
 46分で苫小牧に着いた。苫小牧は本州方面にフェリーも出ている大きな港町である。ここからは再びローカル線の旅となる。先ほど札沼線で乗ってきたキハ40というディーゼルカーの色違いが停まっている。札沼線は白い車体にJR北海道の標準色である黄緑にラベンダー(薄紫色)だったが、日高本線は白い車体に青いマスクと赤の細いラインが入っている。
 日高本線はその名の通り、日高地方に向かって走る路線である。日高はサラブレッドの産地として知られ、沿線には牧場が多い。線路脇に馬が佇んでいたり、海岸線を歩く馬を見たりできるローカル線である。ほぼ全線に亘り海沿いを行くので景色も良い。しかし、災害の影響で路盤が流出した区間があり、現在は苫小牧から四駅先、30.5kmの鵡川(むかわ)のみ列車が走り、その先100km以上は代行バスによって運転されている。
 列車はわずかな乗客を乗せて発車した。苫小牧の町を抜けると車窓は勇払(ゆうふつ)原野の湿原に入る。蛇行する川、小さな沼をkれ草が覆っている。車内には「スローな時間が流れている」という一文と共に日高本線の旅を薦めるポスターが貼ってあった。
(RICOH GR)
2016.12.03 Sat l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
札沼線
 新十津川を出た最終列車。まだ朝の9時台である。昭和の時代の製造であるキハ40はゆったりとした加速で石狩平野を走っていく。右手は低い山が並び、左手は田畑が広々と広がる景色が続く。私はこの路線に乗るのは二回目だが、景色は絶景といえるようなものはないので、前回はうとうとしながら乗っていた記憶がある。
 そんな車窓風景なのだが、現れる駅は無人駅で、しかも北海道仕様な簡素で古びた駅が次々と現れる。待合室の壁に掛かった駅名板が錆びすぎて一種のアートのようになってしまっている駅もあれば、これも北海道仕様な元仮乗降場だった板張りの短いホームの駅もある。
 晩生内(おそきない)のあたりから山が迫ってきて、にわかに山の麓の農村的風景になってくる。豊ヶ岡という秘境駅マニアによく知られた駅が近づいてきた。列車は小さな森の中に入っていき、民家のまったくない場所に小さな小屋が現れた。これは駅舎というより待合室である。列車は板張りの簡素なホームに停車した。ディーゼルカーのエンジン音しか聞こえない。
 豊ヶ岡の次の石狩月形あたりから景色は開けてきた。石狩月形から乗ってきたおばあさんのグループが「今日はえらく人が乗っているね」と驚きながら隣に座る。
 白樺の木が並ぶ駅前の道の先に真新しい建物が並ぶ北海道医療大学駅からは札幌市内への通勤通学路線になっていく。札沼(さっしょう)線は学園都市線という愛称がついているが、その愛称にふさわしいのはこの駅から札幌までの区間であり、この区間はもちろん廃止対象にはなっていない。
 隣のホームに6両編成の札幌行き電車が停まっていて、乗換の案内が放送され、ほとんどの人たちが乗り換えたが、私たちは一駅先の石狩当別駅まで乗り続ける。この一両のディーゼルカーが名残り惜しくもあるのだが、鉄道ICカードを集めているTさんからJR北海道のカード「Kitaca」を欲しいとリクエストもあったからである。石狩当別駅は駅員がいる駅で券売機があり、「Kitaca」も購入できる。私も購入した。カードに描かれているキャラクターが「なぜモモンガなの?」というTさんの質問に首をひねりながら、駅前を少し歩く。
(RICOH GR) ※この組写真は「Split Pgotos」というソフトで作成。左上は新十津川、右上は晩生内(おそきない)、左下は豊ヶ岡、右下は石狩月形。
2016.12.01 Thu l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top