川崎大師
 先月、フジフィルムのX100を買いました。以前から欲しかったカメラで、そのアナログライクな操作性はもとより、光学ファインダーの付いたコンデジ(X100はコンパクトとは言い難い大きさですが)を欲しいという理由がありました。あと、最近フジのXシリーズの描写にl興味を持っているというのが大きかった。
 まだ二回しか持ち出していないし、二回とも同行者が居たのでじっくり試しながら撮るということは難しく、まだX100に慣れたとは言い難いですが、これから色々と撮っていきたいと思います。このブログにもX100で撮った写真が登場する機会が増えることでしょう。
 そこで物欲が止まっていれば良かったのですが、年末に突然思い立ちソニーα55を買いました。五年くらい前のカメラだけに今頃?という感もありますが、要するに「スナップ向けに軽いαが欲しい」というのが理由。現在所有しているデジタルαは、α-7 DIGITAL(10年前のカメラで重い。でも写りがとても好き)。α200(それなりに軽い。エントリーモデルだけどファインダーはまあまあ)、α700(気合入れて撮る用。少し重い)と三台あります。どれも旧機種ですね(苦笑)。
 スナップ的にはα200を使ってきましたが、小さくてバリアングルモニターでライブビュー出来るということでα55を併用したいとずっと考えてきました。或いはその後継機が出たらそれを欲しいなと。ところが、時代はいつしか軽量モデルはミラーレスが主流になり始め、αという名前もミラーレスの事を指すようなイメージになり始めています。α55は小さい普及機なのに性能がイケテルという、かつてミノルタが出していたα-Sweetシリーズを思わせるコスパぶりですが、その後継機と言える機種が出てこないありさまであります。
 そこで、遂に思い切ってα55を買うことに至りました。秒間10コマ連射が売りのひとつだったカメラなので中古を買うのは怖いとも思えましたが、程度の良いものを並べていることに於いて信用を高く置いている都内の中古店Mで買ったところ、幸いなことに予想よりも良い品に出会えた感じです。薬指が当たる部分のゴムが爪で少しえぐれたグリップを始め。全体的にほのかに香水の香りがするので、前のユーザーは動体モノをがしがし連射で撮っていたようなヘビーユーザーではないと勝手に想像しております。
 ソニーのデジカメの操作性は馴染めない点も多々あり、このα55あたりからは旧ミノルタのインターフェースからソニーのサイバーショット的なインターフェースに変わっているので、そこが数少ない不満点ですが、そこはミラーレスのNEX-6を二年近く使ってきて慣れてきているので、α55とも仲良くしていきたいと思っております。

 さて、今年もいろんな所に出かけて色々撮ってまいりました。ご覧いただき、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
(SONY NEX-6 LENS:MINOLTA MC ROKKOR 35mm F2.8)
スポンサーサイト
2015.12.31 Thu l 川崎南部・鶴見 l コメント (2) トラックバック (0) l top
韮山城址
 韮山城址として城池から上がっていける郭は三つで、途中に熊野神社があるが全体的にはそう広くはない。しかし、眺めはとても良い。
 少し城址からの眺めを撮影したあと、来た時とは逆側となる西のほうから山を下りた。城址の三の丸跡は麓の高校のテニスコートになっているためか、この道は整備された道で高校のグラウンドの横に下りていく。ちょうど練習を終えたばかりの野球部の生徒たちが私達に向かって大声で「こんにちは」と挨拶してきた。
 来る時は道を大回りしてきたので帰りは所要時間が半分くらいで到着した。時間的に反射炉を見るのは難しいのでまっすぐ三島に戻り、東海道本線で小田原に向かった。
 すっかり夜になった小田原の駅ビル1Fにある和菓子屋で、北条五代の歴代当主が使った印判を模した「虎朱印 最中」をお土産に買う。店員さんも爽やかで、最中も美味しかった。次回小田原に来た時もまた寄りたいと思った。
 夕食の時間には若干早いが、駅近くにある北条家をコンセプトに取り入れた居酒屋で飲むことにした。箱根の地ビールや地酒、伊豆七島の焼酎などを美味しく味わった。
(FUJI FILM X100)
2015.12.30 Wed l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
韮山城址
 山中城址を見たあとバスで三島駅に戻り、三島から伊豆箱根鉄道駿豆本線に乗って韮山に向かった。電車はクロスシートだったので気兼ねせずに買ってきた「伊豆の国ビール」を飲む。雨は少し弱まり、傘を差さなくても歩けそうなくらいにはなってきた。
 韮山には最近世界遺産に登録された「反射炉」があるが、こちらの最寄駅はひとつ先の伊豆長岡駅であり、韮山駅は観光客の姿もなくひっそりとしていた。駅前から東の方角にそびえる山々の方に向かって歩き始める。途中、少し道に迷いながらも江川邸に到着。江川家は反射炉を造った人を生んだ家系でもあり、北条家に仕えて韮山城のすぐそばに江川砦という防備のための砦を構えていた土豪の家系でもある。
 その江川邸のすぐ近くに城池という池がある。昔はこのあたりは湿地帯だったそうで、池はその名残りなのだろう。この城池の北西の位置に、すぐ横の小山に上がっていく道があり、その道の入口に韮山城址についての解説版が立っていた。
 韮山城は北条五代の初代当主である北条早雲こと伊勢宗瑞が築城したと言われ、天正18年の小田原合戦の際には、北条氏規が城主として豊臣軍の攻撃を四ヶ月以上に渡って耐え抜き、遂には攻撃中止命令が秀吉から出され、家康の仲介のもと降伏に至ったという歴史を持つ。
 緩やかな坂を登ると、それほどまでの堅城には思えないが、辺りが湿地帯だったこと、周辺の山々に設けられた砦が機能したこと、北条氏規が知将であったことなどが攻撃を耐え抜くことが出来た理由かと想像する。
(FUJI FILM X100)
2015.12.29 Tue l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
宗閑寺
 山中城址を一通り回った。既にバスを降りてから一時間半ほど経っていた。それだけ大きい城ということで、もう少しじっくり見て回れば二時間以上かかるだろう。途中、駿河湾が見下ろせるという箇所があったし、場所柄本来は富士山が大きく見える所なのだが、この天気ではいずれも見えなかった。天気がいい時に出直してじっくり見て回りたいと心に誓った。
 城址の近く、というか本丸跡から国道のほうに下りてくると近くにお寺がある。宗閑寺というそのお寺は間宮康俊の法名から名付けられたお寺で、間宮康俊の娘であり、のちに徳川家康の側室となるお久が家康にお願いして立てたと言われている。本堂の左手にお墓があった。ここには山中城の戦いで亡くなった人達が敵味方問わず祀られている。その一つの墓石に「豊前守」という文字がある。今で言うフルネームは「間宮豊前守康俊」なので、これは間宮康俊のお墓である。静かに挨拶をさせていただいた。
 城址とお寺訪問という目的が達成されたのでバス停に向かう。霧はますます濃くなっている。その霧が神秘的な雰囲気を作り出して、周辺を厳かな空気に染めていく。
(FUJI FILM X100)
2015.12.28 Mon l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
山中城
 岱崎出丸を見たあと、国道を越え、向かいの三の丸~本丸跡に向かう。敷地面積はこちらのほうが広い。
 いきなり急な坂を上がっていくと大きな空堀が現れ、登っていくと今度は障子堀が現れた。障子堀とは北条家の築城技術の粋を生かして造られた堀で、写真のとおり障子状の形をした空堀である。関東ローム層による地表のため、落ちたら容易には上がって来られないようになっているのだという。しかも、見てのとおり、堀の上の筋は交差する所で微妙にずらしてあるので真っ直ぐ進んでいくと落ちてしまう仕組みになっている。このように凝った設計が特徴だ。
 山中城に来たらこの障子堀を見るのが定番コースなようであるが、確かにこの風景はここに来たからこそ見られるものであり、それを見ることが出来て感無量。霧は更に濃くなってきたので写真としては鮮明さに欠けてしまったが、圧巻な風景が少しでも伝わればと公開。
(FUJI FILM X100)
2015.12.28 Mon l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
山中城
 また城址巡りか!と言われそうだけれど、先日友人と青春18きっぷを使って静岡県のふたつの城址を巡ってきたのでその話を。

 東海道本線に乗ってやってきたのは三島駅。週間天気予報では日曜のほうが天気が良かったはずが、いざ当日となってみれば前日の土曜のほうが天気が良く、この日は雨まじりの天気。折り畳み傘を片手に路線バスに乗り込む。バスの行き先は「元箱根」。バスは三島市内をぐるりと回り三嶋大社の前を通ったりしてから、雨の国道1号線を登っていく。
 三島駅から28分、610円で山中城址に到着。城は東海道を跨ぐ関所のような造りで築城されたので、現在も国道1号線の両脇に城址がある。よってバス停を降りるとすぐである。
 雨は三島駅付近より少し弱まったけれど、小雨が続く。傘をさしてカメラを首から提げながら歩く。標高が高いためか霧が濃くなってきた。ここは県境にほど近い場所で、その県境を越えると箱根であり、芦ノ湖である。
 国道の両脇に城址があるのでどちらから回るかだが、私は岱崎(たいざき)出丸のある南側から回ることにした。天正18年(1590年)の小田原合戦で、北条家の討伐を目的に関東にやってきた豊臣軍は最初の戦いを東海道沿道にあるこの山中城で仕掛けた。山中城に援軍として入っていた鎌倉の玉縄城の部隊のうち、城の普請を行ない構造に長けていた間宮康俊は僅か百数名の兵を率い、この岱崎出丸で豊臣軍の最初の攻撃を受けて立った。
 当時73歳でありながら勇敢に戦った間宮康俊のこと。間宮家は現在の横浜の南部あたりを領地としていて、子孫に間宮海峡の名前の由来になった間宮林蔵、横浜の杉田にあった間宮家には解体新書で知られる杉田玄白がいることなどを友人に解説する。
 霧に包まれた山中城の岱崎出丸跡には、北条家の築城技術の粋を結集して造られている畝堀(うねぼり)が、静かにその姿を現している。
(FUJI FILM X100)
2015.12.26 Sat l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
正覚寺
 茅ヶ崎城址を一周して出入口に戻ってきた。ゆっくり回って30分~40分くらいで回れた。思っていたよりも面影を残す城址だったので満足して帰路に、という前にもう少し周辺を歩いてみる。
 先ほど城址の上から眺めていて根小屋のあった辺りが気になったので、まずはその辺りを目指してみた。城址の南側はセンター南駅方向にまっすぐ歩道が延びている。こういう風に道が整備されているのはニュータウンならではで、周辺の家も割と新しめの家が多い。近くには公園もあり、親子連れが遊んでいる。
 これといって見るものはないかと帰ろうとすると、公園の近くにお寺を見つけた。早速、向かってみることにする。
 そのお寺は正覚寺というお寺で、山門をくぐると本堂のまわりのもみじが色づいていて綺麗だった。その向こうには鐘楼もある。城址巡りは神社仏閣とも出会える旅である。よい風景を持つ城址には、よい風景の境内を持つお寺がある。
(iPhone5)
2015.12.24 Thu l 川崎北部・横浜港北 l コメント (0) トラックバック (0) l top
茅ヶ崎城址
 東郭はあまり広くないものの、見晴らしがいい場所であった。この城を築城したのは扇谷上杉家と言われ、それを戦国期に北条家が改築したとされている。横浜のこの辺りには先日このブログでも紹介した小机城があり、小机城は北条家にとって重要な拠点の城であったのだが、この茅ヶ崎城から小机城が見えるように建っていたと説明版にあった。今は建物がたくさん建っているので見えないけれど、眺望は良い所である。
 西郭に移動すると、城址の下に広がる住宅街から生活感が漂っている。城があった頃はこの辺り、つまり城の南側は根小屋だったそうである。根小屋とは、城の関係者が暮らす住居地区のことである。
 そんな元根小屋の山上を歩いていると大きな土塁が現れた。そして、その脇には空堀(からぼり)。空堀とは水を張っていない堀のことで、こういう眺めは時を越えて現代に昔の風景を妄想させてくれる存在。西郭のまわりは木々も多く、より一層、土の城の雰囲気を高めてくれていた。
(iPhone5)
2015.12.23 Wed l 川崎北部・横浜港北 l コメント (0) トラックバック (0) l top
茅ヶ崎城址
 茅ヶ崎城址は2008年に城址公園として整備が完了して公園としてオープンした。それまでは自然溢れる城址で、昔は宅地化が進行していなかったという事情があるにしろ、横浜市内によくぞここまで綺麗に中世の城址が残っていたものだと、中世城址好きを喜ばせていたそうである。
 そういう自然の中の史跡を公園化して訪れる人を増やそうとすると、むやみに整地し過ぎて史跡として微妙になってしまうことも少なくないようであるけれど、ここの場合は歩きやすいよう歩道が整備され、途中に説明版が設置され、あとはなるべくいじらなかったようで、なかなか雰囲気のいい城址である。
 中郭の奥を更に行くと東郭に向かう道に土橋跡があった。東郭は少し高くなっていて、間には空堀が設けられているので、こういうものが造られたようである。空堀が野趣に富んでいて良い風景であるように思った。
(iPhone5)
2015.12.22 Tue l 川崎北部・横浜港北 l コメント (0) トラックバック (0) l top
茅ヶ崎城址
 センター南駅から徒歩10分ほどで茅ヶ崎城址公園の入口に到着した。周辺は静かな住宅街。北側に回りこむと入口があった。入口には看板と園内の案内図がある。
 まずは北郭(ぐるわ)の跡を見る。少し周辺より小高い場所になり、公園の立っている場所から先は更に低くなっているので見晴らしは良い。かつては、その下の地にも郭があって、そこに向かって土橋が架かっていたそうである。ここの郭跡は入口に近いためかトイレもある。
 そこから更に階段を登ると本郭に出た。発掘調査の際に倉と思われる建物の跡などが出土したそうで、現在は芝生の上にそれを示す印が設けられている。この枠印を見ながら城のあった頃の姿を妄想する。戦国期の城巡りは妄想が大切である。
(iPhone5)
2015.12.21 Mon l 川崎北部・横浜港北 l コメント (0) トラックバック (0) l top
センター南
 ふと思い立ち、地下鉄ブルーライン(という名前の路線が横浜にある)に乗って桜木町からセンター南にやってきた。ブルーラインには最近快速列車が走り始めたが、やってきた電車はその快速だった。桜木町・横浜・新横浜と途中駅を通過して快調に走っていきながら、やがて電車は地上に出た。
 センター南駅はセンター北駅と並んで港北ニュータウンの玄関駅である。平成年代に飛躍的に人口が増え、宅地開発が進行し、静かな農村は近代的な街に変貌した。センター南の駅前も商業ビルが立ち並び、近くには横浜市都筑区の区役所もある。
 駅のコンコースに立ち、これから向かう場所に向かって写真を撮る。ふと思い立っての散策なのでカメラは持っていない。建物の向こうに小山が見える。さて、歩いてみよう。
(iPhone5)
2015.12.20 Sun l 川崎北部・横浜港北 l コメント (0) トラックバック (0) l top
猿島
 結局早足で遺稿巡りをしたので所要時間20分ちょっとで終わった。船の時間まで少しあるので海岸で黄昏空を眺め写真を撮る。私達よりも早く上陸してゆっくり島を満喫している人達は、思い思いに名残惜しそうに海と空を見つめている。
 満員の最終便、行きと同じように甲板で海を眺めつつ三笠港に着くと既に周辺は夜の景色になっていた。横須賀中央駅前で一杯飲んでいくことにする。こうして訪問先で旨い酒と肴を味わうのは撮影散歩の楽しみのひとつなのである。
(FUJI FILM X100)
2015.12.19 Sat l 横須賀(横須賀中央田浦周辺) l コメント (0) トラックバック (0) l top
猿島
 猿島にはいくつか砲台跡がある。三浦半島にはあちこちに砲台跡があり、地域的にも軍事遺稿が多いのは確かなのだけれど、猿島自体が軍事施設だったので、そういうものが多い。
 砲台跡や海を眺めているうちにだんだんあたりは暗くなってきた。一人だったら絶対歩かなかっただろうと思える風景で、実際私達以外にこの時間に島の奥まで入っている人はいなかった。
 階段を下りて、船乗り場への近道となるトンネルをくぐる。同行者は割とこういう雰囲気は平気なようである。トンネルは煉瓦組みで、所々にドアのようなものがある。もちろん現在はそれらの部屋には入れないようになっている。トンネルを抜けると切通しが現れる。説明版もあり、一応読みながら歩く。ここを過ぎれば船乗り場の手前のバルコニーの所は近い。
(FUJI FILM X100)
2015.12.18 Fri l 横須賀(横須賀中央田浦周辺) l コメント (0) トラックバック (0) l top
猿島
 猿島に上陸した。最終便まで一時間くらいしかないので足早に回ることになる。同行者は横須賀の街並みに沈む夕陽の美しさに満足して、これだけでも元を取った気分とのこと。
 バルコニーから坂を上がり海を見下ろしながら歩いていくと、やがて監視台の跡地のような場所に出た。施設そのものは立入禁止になっているけれど雰囲気満点である。この場所は小さな広場になっていて見晴らしがよく、島のまわりの海がよく見える。猿島が軍痔施設だった時代を偲び撮影。
(FUJI FILM X100)
2015.12.17 Thu l 横須賀(横須賀中央田浦周辺) l コメント (0) トラックバック (0) l top
猿島
 横須賀の三笠港から船で10分ほどで猿島に着いた。東京湾にある天然の島で唯一の無人島である。
 猿島に来るのは11年ぶり二回目で、前回は12月の寒い日で、しかも波はとても高く立っていられないくらいの天候だったので船内は私以外はカップル一組だけで、島内もそれほど人が居なくて静かだった。本日も波は少し高いが、島に着いてみれば大勢人がいる。
 17時の便が最終便(先ほどの16時三笠港発とあわせて臨時便)ということだけれど、これほどまだ島内に居て帰りの船に乗り切れるのだろうかと余計な心配が頭をもたげたけれど、横須賀の街の方角は太陽が沈み始め綺麗な夕陽に包まれていて、バルコニーに佇む人達はそれに見入っていた。
(FUJI FILM X100)
2015.12.12 Sat l 横須賀(横須賀中央田浦周辺) l コメント (2) トラックバック (0) l top
横須賀
 田浦港から国道を越えて、コンビニでパンなどを買って食べ、私達は田浦訪問のもうひとつの目的地に向かった。その場所は居住者がいるので詳しく書かないけれど、その居住者と道で偶然会って挨拶をした。たまたま現れた猫の可愛さに和やかな雰囲気になれたのでホッとした。
 田浦郵便局のバス停から安浦方面のバスに乗る。友人は前回横須賀を訪問した時に立ち寄った安浦にまた行きたいと出発前に話していたけれど、バスの中で色々話しているうちに計画は変わり、私達は三笠公園に向かうことにした。
 大滝町のバス停で降り、三笠公園通りを歩き、やがて前方に港と戦艦三笠が現れた。戦艦三笠をしばらく眺めたあと、今回の訪問候補に入っている猿島に行くことにした。すぐ近くにある乗り場から船に乗れば10分ほどで猿島に着ける。次の便は16時だそうだが、猿島からの最終便が17時なのでさすがにこの時間から向かう人はあまりいない。空は少しずつ太陽が傾き黄昏色になっていた。
(FUJI FILM X100)
2015.12.10 Thu l 横須賀(横須賀中央田浦周辺) l コメント (0) トラックバック (0) l top
田浦港
 貨物線の廃線跡は、以前よりも失われてしまった遺稿もあるけれど、まだ雰囲気をよく残している。鉄橋跡がなくなってしまったのは残念だけれど、その場所で解説などしながら歩く。
 歩いている人は少なく、とても静かな場所であることは以前と変わらない。そんな場所だから写真を撮っていたりすると目立つのだろう、通りがかったバイクが突然停まった。運転手は横須賀で生まれ育った人だそうで、この貨物線の廃線跡のことを知っていた。少し雑談する。
 トンネルの手前まで来て道を引き返す。かつてはトンネルの中まで線路が延びていたそうである。トンネルを抜けると安針塚駅のほうに行けるが、今回は田浦駅の方向に戻る。途中、港の敷地に猫がいた。港と猫はよく似合う組み合わせである。
(FUJI FILM X100)
2015.12.09 Wed l 横須賀(横須賀中央田浦周辺) l コメント (0) トラックバック (0) l top
田浦
 埼玉県に住んでいる友人と横浜駅で待ち合わせ。横須賀線に乗ってやってきたのは田浦駅。トンネルに挟まれているこの駅の説明をしながら試し撮り。今回の自分は案内役でもある。まずは貨物線の廃線跡を撮りつつ、古い倉庫が並ぶ田浦港の風景を撮っていこうという趣旨。
 今回、私は買って間もないカメラで出発。色々と試行錯誤しながら楽しく撮っていく。
(FUJI FILM X100)
2015.12.08 Tue l 横須賀(横須賀中央田浦周辺) l コメント (0) トラックバック (0) l top
鴨居
 先ほど歩いてきた道を引き返し鴨居に向かう。帰りは観音崎大橋ではなく、平行して岸沿いに通る細い旧道を歩く。家と家の間から観音崎大橋が見える。
 鴨居港近くの集落に「鴨居八幡神社」がある。養和元年(1181年)に建てられたという。鴨居の港に面して鳥居が立ち、鴨居の町と海の安全を見守っているように建つ神社を表敬訪問する。

鴨居八幡神社 ホームページ

 参拝をしてから浦賀駅方面の道に行く。内陸部に家が並んでいるが、新しめのマンションも少なくない。道の左は小高い丘で、浦賀城のある明神山から続いている峰のようである。そんな丘の上も宅地開発されていて、内陸部の鴨居はちょっぴりニュータウンな薫りもなくはない。やがて切通しを抜けると浦賀駅は近い。
(RICOH GR DIGITAL)
2015.12.05 Sat l 横須賀東部(浦賀久里浜方面) l コメント (0) トラックバック (0) l top
観音崎公園
 昼時になったので日陰を探して昼食。ベンチがあったのでそこに座ると猫がいた。やがてまわりに誰もいなくなると、ベンチで佇んでいた猫がこちらにやってきた。猫は膝の上に乗ってきてじゃれてくる。人に慣れているようだけれど、自分にここまで懐いてくれるのは嬉しい。
 もっとも、猫が理由なく人に懐くことは稀な気もするし、長年猫と暮らしていたから猫を引き寄せる何かを自分が持っているのかもしれないし。それはわからないけれど、とにかく短い時間ながら楽しいひとときを過ごす。
(RICOH GR DIGITAL)
2015.12.04 Fri l 横須賀東部(浦賀久里浜方面) l コメント (0) トラックバック (0) l top
多々良浜
 観音崎大橋を渡ると道は左にカーブしてたたら浜に出る。観音崎は戦時中は軍事関係者以外立入禁止の区域であったので、あちこちに日本軍の遺稿が残る。たたら浜も海の上に石柱が建っているが、これもやはり軍事施設の遺稿のようである。(詳細が書かれたブログはこちら
 もう海水浴のシーズンはないので閑散としているが、海岸はそれなりに人がいる。ここからは久里浜の火力発電所の煙突もよく見える。のどかな風景だが、ゴジラの第一作目でゴジラが上陸した海岸でもある。京急の浦賀駅の電車到着メロディはゴジラのテーマである。
(RICOH GR DIGITAL)
2015.12.03 Thu l 横須賀東部(浦賀久里浜方面) l コメント (0) トラックバック (0) l top
鴨居
 かもめ団地の敷地は広い。県が工業団地の誘致を考え埋め立てをしたが地盤が軟らかいがゆえに計画は変わり、こうして人の住む団地になった。以来数十年、どこの団地もそうであるように高齢化が進行しているともいう。防波堤を歩いていると、散歩をしているお年寄りを何人も見かけた。日当たりが良く散歩にいいコースではある。
 海岸線に沿って大回りのように団地の外周を歩き、再び浦賀から観音崎方面へ通る道に戻る。廃屋となった集合住宅(所有の90年代の地図によると自衛隊の住宅らしい)があり、三浦半島でよく感じる「時間が停まっているような感覚」を味わいながら鴨居の町に入る。
 鴨居は港があり静かな漁村的風景だが、内陸を通って浦賀駅方面に至る道沿いはマンションも建っている。波は穏やかで、海水も透き通っている。鴨居の町から観音崎の方に至る道は、やがて砂浜の上を橋で越える。砂浜には小舟が繋がれ、その奥の旧道は車が一台通行するのがやっとの細い道なのでこの橋が架けられている。
(RICOH GR DIGITAL)
2015.12.02 Wed l 横須賀東部(浦賀久里浜方面) l コメント (0) トラックバック (0) l top
鴨居
 かもめ団地のそばにやってきた。団地の前には海が広がる。何十棟も住居が並ぶ大団地だ。団地の手前に小学校がある、かつては1000人を越える生徒数がいたこともあるという学校は、ひっそりと静まりかえり潮風を浴びていた。
 団地の前に広がる防波堤に立つと見晴らしがいい。房総半島がよく見える。海岸線に沿って団地をぐるりと回ってみることにする。
(RICOH GR DIGITAL)
2015.12.01 Tue l 横須賀東部(浦賀久里浜方面) l コメント (0) トラックバック (0) l top