宮小路
 小田原文学館のある南町から再び城の方向に戻って国道に出る。ういろうの老舗として有名な店の前を通り、少し先に行き脇道に入ると松原神社という神社がある。現在の町名で言うと本町二丁目になる。この松原神社の近くにある歓楽街が宮小路という。
 歓楽街と言っても、うらぶれた地方のそれで、裏道にスナックやクラブが並び、古びた雑居ビルやお二人様用のホテルがある。夕方のこの時間では歩いている人も少ないが、夜になっても賑わっている風景が連想しにくい町並みではある。もちろん、そういう昭和な風景は大好きなので歩く。
 松原神社は大変古い歴史のある神社で、小田原の代々武家とも縁の深い神社であるようだから、自然と人が集い、その周りが歓楽街として栄えていったのだろう。小田原が歴史を感じる町であるのは、戦国時代、江戸時代だけでなく、昭和の風景も残っているからに思えた。
(RICOH Caplio GX100)
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2015.10.31 Sat l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小田原
 小田原文学館にやってきた。木に囲まれた洋館で、元は宮内大臣までされた田中光顕伯爵の別邸だったそうである。木製の戸を引いて中に入る。入館料は大人250円。
 小田原が生んだ小説家川崎長太郎の特別展ということで、直筆原稿や写真などで長太郎の活動を振り返る企画である。私は数ヶ月前に長太郎の代表作のひとつ「抹香町 路傍」(講談社文芸文庫)を読んだ。長太郎自身をモデルにしている男性が主人公で、自身の各年代に身に起こった事を書き綴った私小説である。そこに描かれている長太郎(らしき主人公)は、女性を追いかけ生きているものの、理屈家なところと詰めの甘さで決して良い思いはしない男性であった。その作中のイメージとは違ったキリッとした二枚目な風貌であることに意外な印象を写真から受け、さらりとした読みやすい文字に人柄を感じ、長太郎が戦後に大人気私小説家だったことに納得した。彼の書く私小説は遊郭や食堂や喫茶店の女性との関わりの妙だけでない、彼の男としての面白さや魅力も作用していたのではないだろうかと感じた。
 二階には作品に出てくる小田原の場所を記したマップを「川崎長太郎の歩いた道」としてまとめてあった。このあと抹香町に行く予定の私にとって有難い道案内になった。また、30歳下の奥さん(元々は長太郎のファンだったそうだ)と一緒に写っていた写真もいい雰囲気の写真で、私は前述の本に出てきた二人が房総を旅する話を思い出し、二人の仲の良さを思った。
 三階はテラスになっている。外に出てみると箱根の山と小田原の町を望む良い眺望だった。テラスの入口横に長太郎が住んでいた物置小屋を再現した部屋が作ってあった。先ほどの青物町と御幸ノ浜の風景を思い浮かべ、部屋を眺める。
 文学館の周りには芝生の広がる庭があり、その先には白秋童謡館という古い日本家屋の建物も見学出来る。
 静かな洋館の雰囲気に浸り小田原文学館をあとにした。川崎長太郎展は11月29日まで開催しているとの事。
小田原市ホームページの小田原文学館紹介ページ
(RICOH Caplio GX100)
2015.10.30 Fri l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小田原
 青物町のあたりはかまぼこ工場が多く、海の町らしい風情に包まれていたが、昼過ぎにその地を離れて小田原城に向かった。国道に沿って10分ほどで到着する。
 城内には図書館があり、その建物がとても昭和レトロな物件である。閲覧室で郷土資料などを見るために入館すると、現在小田原文学館にて川崎長太郎展をやっているというポスターが入口に貼ってあった。これはちょうどいい時期に来たということで、後で小田原文学館に行ってみることにした。
 小田原文学館は小田原城の南側、現在の町名でいうと南町という所にある。城の近くには昔ながらの店構えを持った小さな本屋があったりして古い町の景色に満ちている。歩道にある旧町名の解説の石碑には「安斉町」とある。北条家の主治医である田村安斉にちなんだ町名かと思ったら、やはりその通りで、田村安斉宅がこのあたりにあったのだそうだ。
 やがて小田原文学館への道である西海子小路が分岐する。右に曲がってその道を歩いていくと、かつての屋敷町のような落ち着いた佇まいを感じながら文学館を目指す風景になっていく。
(RICOH Caplio GX100)
2015.10.29 Thu l 小田原 l コメント (2) トラックバック (0) l top
小田原
 川崎長太郎の石碑の先には海岸がある。その海岸の手前には西湘バイパスという有料道路が横切っていて、そこをくぐらないと海岸は一望できない。道路の下をくぐって海岸に出ることにした。
 まるで小さなトンネルを抜けて海に向かううような、そんな人工的な演出を写真に収めてから海岸に出ると、青くて広い海がそこに広がっていた。西の方角には箱根の山々が連なっている。
 誰もいない海岸、その向こうに広がる海に一艘の船が佇んでいた。
(RICOH Caplio GX100)
2015.10.28 Wed l 小田原 l コメント (2) トラックバック (0) l top
小田原
 小田原にやってきた。天気もよく、早速最初の目的地に向かって歩き始める。駅前の道を海の方角に向かってまっすぐ歩いていく。
 駅から20分ほど歩いた頃、旧東海道の道の所にある青物町という交差点に着く。この町名は昔のもので現在は浜町という名前になっている。歩道には旧町名とその解説がある。小田原はこういう旧町名の解説が書かれた石碑があちこちに建っている。
 青物町交差点のあたりは庇の付いた歩道を連ねた小さな商店街もある。店の看板がいずれも昭和な雰囲気。そんな道の先、海岸の手前に最初の目的地である小説家川崎長太郎の石碑がある。石碑には彼の作品「抹香町」の一文が刻まれている。抹香町には午後に行く予定だ。
 長太郎はこのあたりにあった物置小屋に住み小説を執筆した。そこに石碑が建っているというわけだ。すぐ近くには彼の実家があったのだそうだ。
 石碑の先には西湘バイパスが通り、その下の小さなトンネルを抜けると海岸だ。海を見に行こう。
(RICOH Caprio GX100)
2015.10.26 Mon l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
久里浜
 フェリー乗り場から海岸に沿って平行するように通っている道路をまっすぐ北の方角に歩く。ペリー公園の前に砂浜が広がっているので、そこで小休止しようと思う。
 いつもは夕方来ると静かな海岸で、私は久里浜に来ると大抵ここにやってきては黄昏の優しい光に包まれた海岸の風景に浸るのだけれど、この日はちょっと様相が違った。家族連れが多く、バーベキューをやっているグループもいる。三浦半島の海岸はバーベキュー出来る場所は限定されている筈で、この海岸がOKなのかはわからないが、違和感のある光景に思えた。
 この海岸からは房総に向かうフェリーもよく見える。隣町の浦賀との境にある千代崎のあたりは緑の多いのどかな風景。ふと、私の横を男性が静かに海に向かって通りすぎていく。男性はそのまま海の上へ、まるで賑やかな海岸から遠ざかっていくように、ゆっくりと千代崎の方角に向かっていった。
(SONY α200 LENS:MINOLTA AF 24mm F2.8)
2015.10.25 Sun l 横須賀東部(浦賀久里浜方面) l コメント (0) トラックバック (0) l top
久里浜
 くりはま花の国から少し歩くと久里浜港に着く。ここからは千葉県の房総半島の浜金谷港に向かって東京湾フェリーが出ている。短い航路だけれど、旅情を感じる航路に思えるのは、どちらの港も設備が割とコンパクトだからかもしれない。
 少しずつ傾いてきた太陽が、そんな港の風景をとても良い色に染めていく。
(SONY α200 LENS:MINOLTA AF 24mm F2.8)
2015.10.23 Fri l 横須賀東部(浦賀久里浜方面) l コメント (0) トラックバック (0) l top
久里浜
 賑わいから遠ざかりながら、園の外側の道を歩く。これから港のほうに行ってみようと思う。プールなどの施設がある辺りは同じ園内でも地元の空気が漂う。ここは非日常ではなく日常の空間なのだ。
 ふと園内の方向を見ると鉄塔に西日が重なっていた。
(SONY α200 LENS:MINOLTA AF 24mm F2.8)
2015.10.22 Thu l 横須賀東部(浦賀久里浜方面) l コメント (0) トラックバック (0) l top
久里浜
 天気の良い連休の日、ひさしぶりに「くりはま花の国」にやってきた。連休だし、コスモスの時期だしで、予想通り混雑。入口に向かう道は駐車待ち列が伸びている。もう時計は3時になろうかという時間でこの渋滞とは驚き。
 園内は思っていたよりは混んでいなかったけれど、まったり写真を撮っているという気分にはなれず、結局入口近くのコスモス畑を30分ほど散策しただけで終わる。そういう気分で撮っているからなのか、出来栄えも今ひとつかなと思ったり。
 それでも、空の青さも、コスモスの花も綺麗なのであった。
(SONY α200 LENS:SONY 85mm F2.8)
2015.10.20 Tue l 横須賀東部(浦賀久里浜方面) l コメント (2) トラックバック (0) l top
藤沢
 大庭城址公園の駐車場の所から公園を出た。公園の西側にあるここが出入口なようだが、ここは先ほど私が入園してきた入口とは異なり普通の公園の出入口といった造りである。
 城は公園の北側から更に先に延びていたようだが、現在は道を挟んで公園の北側は学校が建っていて、更にその先はニュータウンになっている。私は公園の外周に沿って歩き、来た時のバス通りに向かった。
 帰りも辻堂駅まで歩こうかと考えていたけれど、歩き疲れてきたので公園の少し先にある大六天というバス停から藤沢駅北口行きのバスに乗った。バスの通る道と平行する引地川の土手と広大な草地の中に通っている土手道を、学校帰りの自転車が何台も過ぎていく。
 藤沢駅に着いたが、まだ少し時間の余裕があるので散策する。一昨年訪れた辰巳町の遊里跡に行くとマンションが増えていたが、廃墟となっている路地はまだ残っていた。
(iPhone5)
2015.10.18 Sun l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
大庭
 城址広場の先は芝生が広がる公園として整備されていた。滑り台などで遊んでいた男女子供三人が柴犬を連れてこちらへやってきた。私は空堀を見つけて写真を撮っている。柴犬が自分になついてくっついてきたので撮影を中断して柴犬を撫でる。
 空堀は身長くらいの深さだろうか。年月をかかけて土に埋まってしまっているようにも思える。説明版によると、南北に延びている城郭の中を東西方向に四本の空堀を切っていたようだ。
 この城を築城したのは、扇谷上杉家の家臣であり江戸城を築城したことで知られる大田道灌と言われる。その後、道灌なきあと扇谷上杉家と戦った伊勢新九郎盛時(早雲庵宗瑞。のちの北条早雲)がこの城を奪った。この空堀は大田道灌が基を造り、その後は北条家が改築したのだろうか。往時を妄想する。
 空堀をみたあとは、しばらく公園内を散策してみた。園内は藤棚が設けられていたりして、花の季節に来たら城址とはまた違った写真の撮り甲斐がある場所のようだ。
(iPhone5)
2015.10.17 Sat l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
大庭
 坂を登りきり公園に出た。歩き始めてすぐに城郭広場となる。その場所には「掘立柱建物址」という城に関する何らかの建物の跡がある。何の建物かはわかっていないと説明版に書いてあったけれど、柱が発掘されたそうである。現在、その柱は埋め戻されていて、あった場所に写真のように石が設置されている。
古城巡りはこういう遺構を見ながら妄想を膨らませるのが楽しい。そして、この広場の先には更に妄想を刺激する遺構がある。
(SIGMA DP2)
2015.10.16 Fri l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
大庭
 丘の手前まで来たけれど入口がよくわからない。城址は公園になっていて駐車場もあるそうで、このあたりにはそれらしきものはないから別な場所に入口はあるようだ。出発前に軽く調べたところ、今自分のいる南側にも入口はあったような感じだったけれど、あれは自分の勘違いなのだろうかと丘に近づき小道を左に曲がると、「大庭城址公園」と書かれた入口を発見した。
 階段、というか山道を上がっていく。高さはさほどでもないけれど木々が生い茂っているので暗い。道の途中に小さな鳥居と祠があったが柵で仕切られていて立ち入りは出来ない。城の守り神かもしれず、手を合わせて挨拶する。
 登り始めて数分、公園のある頂が見えてきた。
(SIGMA DP2)
2015.10.15 Thu l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
大庭
 古城巡りがすっかり楽しくなってきた私は、今ひとつ冴えない空の下を東海道線の辻堂駅に向かった。辻堂駅の北口は近年ショッピングモールが出来て賑わいのあるエリアになった。駅から階段を下りずに入店出来るそのショッピングモールに入ってみたが、店内の造りはこの手の建物はどこも代わり映えはしないし、入っている店舗もおなじみな顔ぶれではある。
 昼食時まで辻堂駅前で時間を潰し、午後に散策をスタートさせた。今回の目的地は大庭城址(藤沢市)である。大庭は「おおば」と読む。
 城址まではバスで行ってもいいのだけれど、一時間はかからない距離だろうと歩きにする。駅前からまっすぐ延びる道を歩いていくとやがて小山が立ちはだかり、道はトンネルでその小山に吸い込まれていく。城址はこの小山の向こう側なので右方向に進路を変えて歩いていくと、新湘南バイパスという道が現れる。この道を更に東に向かうと交差点があり、そこを左折すると城址の方向である。
 「城」というバス停があった。「たて」と読み仮名が振ってある。こういう読み方は初めて見た。難読バス停だ。町として開発されているのはバイパスの所までであるようで、左折して歩きはじめたこの道は交通量こそ多いが景色は突然鄙びたものになってくる。道の左手は小山の東端で、右手は広大な草地が広がる。この草地に埋もれて道からは確認できないが、この広々とした草地の中に引地川が流れているはずである。
 「舟地蔵」というバス停の所に来て城址の丘が見えてきた。この写真の右手にある丘がそれである。引地川の支流である白糸川を超えると舟地蔵が説明板と一緒に佇んでいる。北条早雲による大庭城攻めの際にあった悲話に因むお地蔵さまだそうだ。
舟地蔵について
(SIGMA DP2)
2015.10.14 Wed l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
八王子城
 熊谷駅で熊谷うどんという名物を食べ、缶ビールを買って湘南新宿ラインの車内へ。新宿からは中央線に乗る。空はいつの間にか雲ってきて天気が心配になってくるが、雨は降らずに15時30分くらいに高尾駅に到着。
 高尾駅からはバスで八王子城址に向かう。平日は最寄のバス停から入口まで徒歩15分という距離ながら、週末は入口までバスが走っている。ただし一時間に一本の間隔。駅前で40分ほど待つことになった。
 乗る人より降りる人が多いのは時間帯として当然だが、空いているバスは10分ほどで到着した。バス停の前に真新しいガイダンス施設が建っている。館内は無料で入場出来て、八王子城の歴史と北条家の歴史についての説明パネルや映像コーナーがある。八王子城は山城なので地図は必須といって良いくらいだが、この施設で地図が掲載されたパンフレットを配布しているのでもらう。
 ガイダンス施設は17時に閉まってしまうので、バスの終便は17:20である。一時間くらいしか時間がないので足早に見学する。施設のすぐ外にある広場を抜けると山頂にある本丸跡に行く道があり、山頂にある八王子神社の参道でもあるとして鳥居が架かっている。残念ながら本丸跡に行く時間はなく、少し道を見て引き返す。
 別の道から中に入り、麓にある大手門があった場所や大手道を歩き、城主の北条氏照が所在した御主殿に行く。近くには御主殿の滝もあり供養塔があったので手を合わせる。
 御主殿の跡は大きな広場になっていて、この周りも色々と見所があるのだけれど、時間がないので早足になってしまう。広場から虎口の部分は石段になっていて、発掘した時の状態を元に一部を修復したりしたものだそうである。このあたりは当時の関東では珍しい石垣造りが偲ばれて雰囲気満点だった。
 とても広い八王子城址は一時間の散策では足りない大きさであった。以前から行ってみたかった場所であり、この時期、北条氏照の小説を読んでいて思い入れも更に高まったので、また改めて行ってみたい所であります。
(SONY NEX-6 LENS:SONY E PZ16-50mm F3.5-5.6)
2015.10.12 Mon l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
忍城
 歴史好き友人と一緒にJRのフリーきっぷを手にして高崎線の吹上駅にやってきた。ここから朝日バスというバスに乗る。関東平野の郊外の町にはありがちな、中規模のロータリーを構えた駅前から田んぼと家が並ぶ道の風景。少し町中に入ってきたところでバスを降りる。
 私達は忍(おし)城の城跡に来ていた。豊臣秀吉による北条家攻め(1590年)の際、石田三成率い軍が攻めあぐね、遂には小田原城の開城まで持ちこたえてしまったという伝説の城である。
 石田軍が攻めあぐねたのは、城の周辺が沼地であったのが主な理由とされているけれど、細かい史料が残っているわけではないようで、それゆえに後世にこの戦いは伝説味を持って伝承された。現代でも小説や映画の題材になっている。私もこの小旅行に備え、「水の城」というこの戦いを描いた小説を読んできた。
 今の忍城は当時の面影はほとんどない。石田三成が水攻めをする際に造らせたという堤の一部が残っているくらいだそうだけれど、時間の関係でそこは訪れず、天守を模した櫓と併設されている郷土資料館に立ち寄る。忍城を守り通した成田家の家紋の旗が誇らしげに掲げられていた。
(SONY NEX-6 LENS:SONY E PZ16-50mm F3.5-5.6)
2015.10.11 Sun l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小坪
 小坪漁港の横にある駐車場のところに立って今歩いてきた住吉城址の丘を眺める。先ほど見た案内板には、白い建物のあたりが本丸跡であるという風に書いてあった。白い建物に該当するのは、先ほど横を通ってきたマンションと、その近くにある別荘風の家である。
 帰宅後、改めて調べてみたが、マンションのあるあたりは近年まで草の生い茂る空き地で、その頃はまだ古城の城址としての雰囲気も少しは残っていたらしい。逗子と鎌倉の境にあり、逗子マリーナもあり、いわゆるリゾート開発に適した場所と言え、しかも高台にあるこの場所が開発の手を逃れることのほうが難しかったのかもしれない。ましてや、城址といっても江戸時代の城のような権威の象徴としての城のように石垣や屋敷などが並ぶ巨大建築物とは違い、戦国時代の、それも初期のものだから観光に転用できるような痕跡はほとんどないのである。
 伊勢宗瑞(北条早雲)が三浦一族と戦いを行なった場所で、それはのちの北条家の関東進出に大きな意味を持ったものであり、戦国時代の幕開けとなった地と言える住吉城址は、歴史的にはとても重要な意味を持つ場所であることには変わらない。それはこの地がどんなに開発されようが不変なのだからと思いながら、丘を眺めていた。
(iPhone5)
2015.10.08 Thu l 逗子 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小坪
 細い住宅地の道を下っていくと材木座方面からの旧道のトンネルからの道に出た。ここは逗子と鎌倉を結んで走っているバスも通る道である。
 その道と平行するようにして、新道も通っていて、当然の事ながらこちらのほうが道幅も広くて交通量も多い。住吉城址はこの道の向こう側である。
 新道の脇の坂を上がり、新道のトンネルの上の山に上がり新道の向こう側に出ると、住吉城址に関する小さな案内板があり、右に向かう道は私有地なので左にある小さな人道トンネルを抜けるようにと指示されてあった。山をくりぬいて造られた小さなトンネルに一人で入っていくのは怖い。トンネルは階段状になっていて、その先に向こう側が見えるから短いトンネルではある。
 一旦坂を下りて別なルートを思案していると、新道を越える細い陸橋を見つけた。この陸橋を渡って新道を越えると、そこには大きなマンションがあった。このあたりは住吉城址のあった丘陵の一角であるから、じっくり見たいけれど敷地の中に入る訳にはいかない。逗子マリーナ側に下りていく道を探りながら周囲を散策していると山道のようなところに出た。
 木々が生い茂り薄暗い山道を下っていく。すぐ下に集落があるのはわかっているので早足になりながら下りていくと、空堀のような山道が横切った。城址に関するサイトを見ても紹介されていないので、ここが空堀かどうかは定かではないし、違うのかもしれないけれど、古城の城址に来ているのだという実感が湧いてくる。
 やがて寺社もある小さな坂の集落に出る。予備知識としても城の跡を偲ばせるものはほとんどないと知ってはいたけれど、あっけなく集落に出てしまった。一旦坂の下まで下りて、逗子マリーナの入口、つまり小坪の漁港のほうに戻った。
(iPhone5)
2015.10.07 Wed l 逗子 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小坪
 光明寺の裏手から坂道を上がり、中学校を回りこむようにして坂の上に出た。住吉城址の方向を把握しながら歩く。歴史小説家の宮城谷昌光さんの「古城の風景Ⅲ -北条の城 北条水軍の城-」 (新潮文庫)に、住吉城址は逗子マリーナ側より光明寺の方から上がったほうが良さそうだと書いてあり、実際にこうして現地に来てみるとそう感じられたので、こうして歩いているのだが、予備知識をたくさん仕入れてきたわけではないので道がよくわらないまま歩いている。
 坂の上の稜線はどうやら市境なようで、いつのまにか逗子市内に戻っていて、小坪の丘の上の住宅街に出ている。このあたりは披露山ほどではないが、やはり逗子らしい雰囲気の閑静な雰囲気に包まれている。
 そんな住宅街の片隅に、公園に上がる階段があった。どんな公園なのか気になり上がってみると、それほど大きくない児童公園のような場所だったが猫がいた。少し暑いのでベンチに座り、猫を見ながら一休み。
(iPhone5)
2015.10.05 Mon l 逗子 l コメント (0) トラックバック (0) l top
光明寺
 和賀江島を見てから、鎌倉市との市境を越えて鎌倉市に入る。このあたりは材木座という名前の町だ。海岸から少し内陸に入った場所に光明寺というお寺があるので参拝に向かう。
 鎌倉に現存するものとしては一番古いという山門をくぐり境内に入る。広々とした境内は午後の明るい日差しに包まれている。ゆっくりとお参りをして、境内の脇にある道から裏山に向かう。
(iPhone5)
2015.10.04 Sun l 鎌倉 l コメント (0) トラックバック (0) l top
和賀江島
 披露山公園に着いた。結構陽気が暑いので事務所のところにある休憩所でコーヒーを買って一休み。平日なので人は少ないかと思いきや、子供を連れたお母さんが何組か歩いている。ここは小さな動物園みたいなコーナーがあるので子供連れ向けな公園である。私も猿をしばらく眺めたり、その先の展望の丘で逗子の海を眺めたりしてまったり過ごす。
 披露山公園からは披露山の高級住宅街を抜けて大崎公園に向かう。さすがにこのあたりは人通りがない。大崎公園に着き、逗子の海と小坪の町を見下ろしながらここでも一休み。
 大崎公園から坂を下りて小坪の町に出る。ちょうど漁港のある場所に出るようになっている。海鮮食堂もある小坪の町を抜け、逗子マリーナも過ぎ、飯島公園に到着。ここで持参のパンで昼食とする。
 公園の前は鎌倉の海が広がる。干潮の海に和賀江島(わかえじま)が見えている。島といっても、石の集まりみたいな眺めだけれど、鎌倉時代に造られた船着き場である人工島なのである。ここに来る時は満潮な時に来ることが多いので、こうやってじっくり見ることが出来るのは自分にとっては珍しい。
 このあたりは逗子と鎌倉の境なので、和賀江島があるあたりは鎌倉市である。
(iPhone5)
2015.10.02 Fri l 逗子 l コメント (0) トラックバック (0) l top
逗子
 最近逗子の小坪のほうはご無沙汰である。小坪には住吉城址があり、古城の城址めぐりに興味が出てきた自分にとって出かけてみたい場所でもある。そんな感じで、小坪を訪れるべく京急の新逗子駅に降り立った。
 小坪は逗子の中心街からは少し離れているのでバスで行くのが常道で、本数もだいたい20分間隔で運転されているので不便でもない。しかし、まだ午前10時頃でもあり、時間はたっぷりあるので歩いていくことにした。まっすぐ小坪に向かわず、まずは披露山公園に向かう。公園入口のバス停の所で左折して坂を登っていく。その坂の途中からの景色がとても良かったので撮影。
(iPhone5)
2015.10.01 Thu l 逗子 l コメント (0) トラックバック (0) l top