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保土ヶ谷
 保土ヶ谷駅前の細い道を歩き、横須賀線の踏切を通って反対側に出る。
 すぐに国道一号線と合流した。ここに保土ヶ谷宿の本陣跡がある。現在はそれを示す看板があるだけで、往時の面影はない。
 その案内板によると、保土ヶ谷宿の本陣を代々務めていたのは苅部(かるべ)家で、小田原北条家の家臣苅部豊前守康則の子孫と言われている一族だそうである。
 調べてみると、この苅部康則は北条家の主要城のひとつである鉢形城(埼玉県)にて城代家老を務めていた。
 天正十八年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めで難を逃れた康則の孫吉重は、先祖供養のため信濃の善光寺に向かったが、のちに吉重の二男苅部精兵衛が徳川家康の命を受けて保土ヶ谷宿の本陣に勤めることになった。そういう流れだそうだ。
 交通量の多い国道だけに、江戸時代の街道の面影がないのは残念だが、都市の片隅に残る史跡に、この町の歴史が刻まれていることは確かだ。
 本陣跡の脇には今井川という小さな川が流れている。そこを渡ると、京急線の井土ヶ谷方面に抜ける道が分岐する。谷のつく地名のとおり、起伏の激しい道を歩きながら井土ヶ谷に向かうのだった。
(RICOH GR DIGITAL)
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2019.02.02 Sat l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
保土ヶ谷
 JR保土ヶ谷駅までやってきた。保土ヶ谷駅は東海道線は停まらず、横須賀線の電車が停まる駅である。
 駅前はそれなりに広いが、大きな商業施設はなく、郊外の駅の雰囲気が漂う。だが、保土ヶ谷区の代表駅なので乗降客は結構多い。
 駅の近くに川が流れているからか、駅前の道は少し複雑で歩きにくいと感じた。道が区画整理されていないから、開発が中途半端なのかもしれない。まあ、その少しのどかな感じも良いものだ。
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2019.02.01 Fri l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
大蓮寺
 古東海道を歩いていくと、右手が丘の景色となっていった。寺社が並ぶ地域である。景色としては、保土ヶ谷で一番往時の宿場町の雰囲気の残る場所かもしれない。もっとも、それはあくまでイメージを膨らませた上でのことだ。
 丘の端の切通しの傍に階段があった。大蓮寺の参道だ。大蓮寺は日蓮上人が泊まった家を法華堂に改築してできたお寺だそうである。
 こじんまりとした境内だが、宿場を見下ろす丘に立ち、旅人たちの道中安全を見守っていた往時を偲ばせる雰囲気があった。
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2019.01.30 Wed l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
保土ヶ谷
 古東海道と相州道の交差する所に庚申堂があった。「神明社前」という信号が立っているあたりである。
 東海道の宿場町であった保土ヶ谷だが、現在はその面影は薄い。それでも、この古東海道沿いは、この先に寺社がいくつか立っていて、往時の賑わいを偲ばせる景色となってはいる。
 庚申堂があることも、昔ここが街道であったことを思わせるに充分な存在といえる。もう少し、先に歩いてみよう。
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2019.01.27 Sun l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
保土ヶ谷
 天王町駅から南に歩いていく。保土ヶ谷駅の方向に向かう裏道。ここは旧東海道だ。慶長年間(17世紀初頭)に整備され、屋敷などが並んでいたという古町通に出た。
 ここに古町橋というものがあったという。今は住宅街で、往時を偲ばせる遺構はないが、ここを多くの人が往来した時代があったと考えると、この普通の小道が違ったものに思えてくる。歴史散歩は想像力の散歩だ。
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2019.01.26 Sat l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top