笹下城
 成就院を参拝したあと、下の台地に下りた。広大な空き地が広がり、そこは宅地造成が行われていた。かつて、ここにある企業の社宅が建っていたそうだ。城の遺構はかなり消失したようだけれど、この広々とした空間と、その後ろの本丸跡方向の高台が、ここが城址であることを思わせてくれる。
 さて、笹下城を語る上で、間宮家と山中城(静岡県三島市)についても語っておきたい。
 笹下城は横浜の久良岐郡を治めていた間宮家の城である事は既に書いたけれど、玉縄北条家に仕えていた間宮家は、豊臣秀吉による天下統一のための関東制圧戦である「小田原合戦」において、最初の戦場となった山中城に多くの兵を送り込んでいる。三島と箱根の間にある山中城は、西方からの敵襲に備えた巨大な城であった。この城の設計を行なったのが、当時の間宮家の当主である間宮康俊であった。戦国期の城作りにおける北条家のノウハウには定評があるが、間宮康俊は武士であるだけでなく、城の設計の天才といえる人物であったため、豊臣軍の来襲に備えた門番のような城として山中城の設計を依頼され、そして、自分の設計した城で行われた最初の戦いで散った。
 圧倒的な数的不利の状況で勇猛果敢に戦ったという話を、小田原合戦後に関東を治めることになった徳川家康が知り、間宮康俊の娘お久を側室に迎えた。更にお久の要望で、山中城の跡地に宗閑寺というお寺を建て、北条軍も豊臣軍も一緒に戦没者を祀った。
 山中城は東海道を挟むように建っていたので、現在も国道1号線を挟むように城址が残り、三島市によって、その機能美に溢れた大きく複雑な堀が復元されて整備されている。城マニアな人も、そうではない人も、伊豆や箱根のドライブの折に、ぜひ一度立ち寄ってほしい。
 「山中城の見どころ」
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM ※135伴換算 27.5-83mm F2.8-4.5)
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2016.12.15 Thu l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
成就院
 再び南の方向に歩いて戻り、笹下城のあった辺りに入っていく。笹下城は三本の川を利用して天然の堀としていた。丘は広く、防御力の高い城であったであろう事は、宅地化されて遺構がほとんど無い現在でも十分感じることが出来る。
 戦国時代の城は江戸時代の城のよに天守閣を構えて権力を誇示する「見せる城」ではなく、複雑な堀の配置などを駆使した「戦うための城」である。そのため天守閣は基本ない。本丸は天守閣を建てるためにあるのではなく、戦うための総司令部ともいうべき場所である。川に沿ってあちこち歩いているうちに日が暮れ始めた頃、笹下城の本丸跡に建っているという成就院をやっと見つけた。
 階段を上り境内に入ると、地元の子供たちが境内で遊んでいる。そんな平和な光景が、周辺を見下ろす高台の上に建つお寺に
存在している。本丸はお寺の裏にあったようであり、階段を下りたお寺の下の道は空堀(水を張らない土の堀)の名残りだという。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM ※135伴換算 27.5-83mm F2.8-4.5)
2016.12.14 Wed l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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 笹下から港南中央方面に抜ける桜道という道を歩く。ここは前回の訪問でも歩いている。途中の笹下中学校の手前に丘がある。その丘の上に「天照大神宮」という神社があるので階段を上っていく。
 境内からは眺めもよく、周辺もきれいに整備されている。眺めがいい事で推測できるように、ここはかつて城があった場所なのだそうだ。
 横浜市南部はかつて久良岐(くらき)郡と呼ばれていた。この久良岐郡を戦国時代から江戸時代にかけて領地としていたのが間宮氏である。サハリンのところにある間宮海峡の名前の元になった間宮林蔵は、この間宮家の人物である。
 その間宮氏が戦国時代に本拠としていたのが笹下城。ちなみに、笹下(ささげ)という地名は、間宮氏の発祥地が近江国(滋賀県)の篠筍(ささげ)であることから来ていると言われる。
 間宮氏は、戦国時代に相模伊豆から武蔵、さらに東関東や北関東と関東を広く領地にしていた小田原北条家の分家玉縄北条家に仕えてきた。笹下城は江戸湾を見渡し、房総半島の里見氏を警戒するための城でもあった。この天照大神宮のある丘には「松本城」という笹下城を防備するための支城があった場所だと言われる。
 神社の下からは二方向に急な階段が伸びている。今は宅地化されて遺構はほとんどないが、当時は見張りをするに適した場所だっただろうと思える眺めだ。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM ※135伴換算 27.5-83mm F2.8-4.5)
2016.12.11 Sun l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
笹下
 京急の屏風ヶ浦駅に降りた。東に向かえば海の方角だが、西に向かいながら屏風ヶ浦バイパスを歩く。横浜市磯子区と港南区の境。このあたりも坂が多い。道はなだらかに上りになっている。
 15分も歩いたあたりで大きな交差点に出る。交差点を越えて更に西の方角に歩くと丘の上に上がる坂道がある。そこを上がっていくと陸橋があり、その先に笹下(ささげ)中央公園という公園があった。交通量が多いので車の音がうるさいが、なかなか眺めがいい場所で、上大岡や磯子方面を眺望できる。今から手前の台地に向かうことにする。少し前にも来ている港南中央方面である。前回訪問できなかった場所を回りながら、かつてこの地にあった「笹下城」を偲ぶ史跡散歩の開始である。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM ※135伴換算 27.5-83mm F2.8-4.5)
2016.12.10 Sat l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ゆめが丘
 ゆめが丘駅のまわりを歩いてみることにした。駅の東側を環状4号線という道路が横切っている。その道路を歩き始めると、ゆめが丘駅を遠望出来る。駅を遠くから眺めていると、ちょうど横浜方面から電車がやってきた。
 写真のとおり、駅前は空き地が広がっているが、再開発事業が計画されている地区なので、いずれこの駅前も発展する可能性は大いにある。相鉄線は現在、JR線と東横線に乗り入れするための工事が行われており、それが完成すれば都内に直通する路線になる。ゆめが丘が新宿渋谷に直通で行ける駅として、ニュータウンになる可能性は無いわけではない。と思いたい。
 もっとも、私がこうしてわざわざ帰路とは逆方向なのに訪れているのは、そのローカルな風景と、駅の変わったデザインに惹かれたからである。いつまでこの景色が見られるのか?個人的には、新興住宅地よりも、こういう景色のほうが好きだ。
 環状4号線を少し歩くと、横浜市営地下鉄の下飯田駅が現れた。ゆめが丘駅とは乗り換え駅として設定されてもいいくらいの至近距離である。こちらも相鉄線と同じく、横浜と湘南台を結ぶ路線である(もちろん経由地は違う)。
 下飯田駅は小さなロータリーがあるだけの駅前で、ホームの部分だけ頭上が地上に面した造りになっていた。ただし、ホームの大部分の頭上は一階に位置する駅舎が覆っているので、空が少し見える両端を除いて、ホーム自体は地下駅とあまり変わらない眺めであった。
(RICOH GR DIGITAL) ※写真はトリミングをしています
2016.11.02 Wed l 横浜郊外 l コメント (0) トラックバック (0) l top