久留里城
 久留里駅前から城址に延びる道は商店が少し並び、入口には天守閣を模したアーチが飾られていた。
 徒歩三十分くらいで低い山間の中にある城址の入口に着いた。
 尾根に上がっていくと、やがて資料館が現れたので入館。無料である。館内は久留里の歴史の紹介、甲冑や刀や槍、農耕器具の展示があり、なかなか面白かった。
 資料館を出て、更に道を登っていくと、井戸の跡もあり、本丸が近づいてきた雰囲気がある。すぐに本丸に到着。
 本丸には模擬天守が造られていて、そこに全国の現存天守(江戸期の天守)十二城が紹介されていた。
 私の興味は、戦後に造られた模擬天守ではなく、横にある天守台である。ここに建っていたであろう建物を想像して、この山の上の城を楽しんだ。
 久留里城は、戦国時代に房総半島を治めていた里見氏の拠点であった。このような山間に造ったのは、攻められにくいからだろう。もちろん、麓には城下町が形成されていたようである。
 帰りは裏道のような存在になっている山道ルートを通って帰った。このルートの方が、山の斜面に造られた堀切などを見学しやすいからだが、まあ、山道なので歩いている人は居ないだろう。そう思っていたのだ。しかし、好きな人は居るもので、ご婦人のグループが登ってきた。この急な道に苦戦しているようで、少し会話をして、私は麓に向かったのだった。
(RICOH GR)
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2017.04.26 Wed l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
興国寺城
 原駅の方向に戻り、線路を超えて、しばらく歩くと、国道1号線に出た。国道を沼津方向に向かうと間もなく、興国寺通りという道を北に曲がる。
 根古屋という城下町を示す地名が出てきて、原駅から徒歩三十分ほどで、興国寺城の城址に到着した。
 興国寺城は、今川~北条~武田~徳川と、城の持ち主の武家が何度も変わった城で、それは駿河国の東部が領界の境だったゆえである。その歴史を示す説明版が本丸跡に建っていた。
 城址は、三の丸の途中に入口が設けられ、二の丸を抜けて、本丸に至る。圧巻なのは、本丸の後ろにそぼえる、高さ10m以上はあろうかいう土塁で、この上には櫓が築かれていたそうである。
 土塁の上からの眺望は素晴らしく、駿河湾が見えるほどなのであるが、原駅を出たあたりから空は曇り気味になっている。
 櫓が築かれていた土塁の裏は、大きな空堀が切ってあり、その向こうには新幹線の線路が通っている。数分おきに、電車が高速で駆け抜けていく走行音が聞こえる。
 じっくりと遺構を見学したあと、原駅に向かうことにする。城址は現在工事中。この城は、北条家初代当主の伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川家から最初に賜った城という説があり、神奈川県、東京都、埼玉県、静岡県、岡山県の12市町が推進している、大河ドラマ「北条五代」が実現したら、観光客が訪れるようになるかもしれない。
 実際には、伊勢盛時はその頃、京の都で仕事をしている事が多く、この城に在任していた期間は短いとも言われる。それでも、「民のための国を作る」と、関東に拠点を作っていく北条家の礎となった地として、「国を興す」と書く、この城の名前は絶妙である。
 原駅に向かう道。空に雨雲が広がってきたと思ったら、雷が鳴り始めた。急いで駅に戻る。このあとは、沼津で史跡めぐりをするつもりでいたが、それはまたの機会としよう。
(SONY NEX-6 LENS:SONY SEL 16-50mm F3.5-5.6 PZ OSS)
2017.04.19 Wed l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
大和郡山城
 大和郡山の町並みを撮影しながら近鉄郡山駅のほうに出る。町の中心地はJRではなく近鉄の駅のほうで、これは元々、私鉄のほうが国鉄より発展していた関西ならではの立地関係である。
 近鉄の線路に沿って北に歩くと、すぐに大和郡山城の石垣が見えてくる。先ほどJR駅から歩いている途中、外堀公園という堀を埋めて作られた細い公園があったのだが、線路の外側にも道路沿いに石垣が残っていたりする。往時は、かなり立派な城下町だったようだ。
 城への入口は駅の近くだが、私は堀に沿って周囲を歩いてみた。堀の幅は10m以上あり、石垣の高さも堀と同格か、それ以上の規模。かつて、豊臣秀長(秀吉の弟)の居城だったということもあり、相当な規模の城である。
 郡山高校のグラウンドの脇を抜けると、江戸時代の城主であった柳澤家の資料を揃えた柳沢文庫と柳澤神社がある。参拝して境内を歩くと、その先に、しばらく工事中だった天守台がそびえていた。
 大和郡山城は現存天守の城ではなく、復元された天守閣はないが門の近くに復元櫓がある。櫓の横を通り、堀に沿って歩いていくと、本丸に向かって建っていたという極楽橋の跡があった。復元を目指しているそうで、実現したら是非とも見てみたい。イメージ図があったので、それを見ながら、当時の風景を想像してみる。
(FUJIFILM X100)
2017.04.05 Wed l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
世田谷城
 かつて、世田谷城という城があった。北条家の家臣であった吉良氏の城である。宮の前駅から徒歩10分とかからずに世田谷城址に着いた。城址といっても小さな公園のような構えで、案内板は立っているが、城の面影を辿るには遺構は多くない。ひとまず、案内板のそばにある土塁の跡に上ってみたりする。
 見た感じは住宅街にある公園で、土がこんもりと盛り上がった所が点在しているのが普通の公園と違う感じで、ここに城があった事を教えてくれなくもないが、案内板がなければ、ここが城址とは気づかないかもしれない。土の盛り上がりの間を通る道は空堀の名残りなのだろうとは思うが、整備されているので遺構らしさは薄い。
 公園は奥行き数十メートルで柵により行き止まりにされており、10分とかからずに見学は終わる。柵の向こうは空堀も大きく、土塁も立派だが、隣接して住宅が入り込んでいる。おそらく住民への配慮か、土塁で子供が遊ぶのを避けるための危険防止かで立ち入り禁止にしていると思われた。
 しかし、実は世田谷城は公園の一画だけでなく、すぐ近くにある豪徳寺までを含めたものである。私は豪徳寺に向かった。
(FUJIFILM X100)
2017.02.19 Sun l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
祇園城
 白河から東京方面の電車に乗り、引き返す。黒磯で乗り換えて宇都宮。16時になろうかという時間になってきた。私はホーム上の待合室で次にどこに行くか思案した。あと一時間もしないうちに日没である。今日は綺麗な夕日が見られそうだ。宇都宮で降りるか?少し先に行くか?私は最初の予定で考えていた小山の祇園城に行くことにした。
 宇都宮から小山までは30分弱ほどである。新幹線のホームがあるので、どちらの駅も大きいが、小山駅前は県庁所在地の宇都宮に比べると小規模だ。
 駅にある周辺地図で道を確認する。西口をまっすぐ行く感じなのでわかりやすい。日が暮れると困るので、小走りで歩いていく。通りはそれほど店は多くない。祇園城通りと名前が付いていた。
 道が思川(おもいがわ)に差し掛かるあたりで、右に祇園城が見えてきた。戦国時代の城址なので石垣ではないけれど、土を重ねて高い位置に造られているようで、近代に造られたであろう石壁に夕日が当たっている。
 中は公園になっていて、休憩ベンチや子供が遊ぶものなども設置されている。それでも、城の雰囲気は割と残っており、各曲輪(くるわ)の様子もよくわかる。そして、何より素晴らしいのが空堀(からぼり)である。
 祇園城は小山氏が築城し、長年小山氏の拠点であった城だが、小田原北条家が北関東に進出した際に、北条家の領地となったため、城に手が加えられた。空堀のダイナミックな感じが、北条家の手が入っている事を感じさせる。
 小山氏は北条家の傘下となったため、豊臣秀吉による小田原征伐の後に小山の地を離れる事になるが、子孫がのちに水戸藩士になっているそうである。
 城から思川がよく見渡せる。夕日が川の向こうの山に沈んでいく。城内が薄暗くなってきたので、急いで見て回ることにする。
 空堀には橋が架かっている。祇園橋という赤い太鼓橋が綺麗だ。夕日を受ける橋、その向こうは思川。
 城のまわりは住宅街。町に溶け込んでいる風景である。そういう場所柄、公園化されてはいるが、遺構もよく残っていて良い城址だった。小山に立ち寄る際には、また訪れてみたい。今度は明るい時間にゆっくりと歩きたいと思った。
(写真は、感度設定を間違えてブレ写真になっているので組写真にしました)
(PENTAX Q LENS:PENTAX 01 STANDARD PRIME (135判換算47mm F1.9)
2017.02.12 Sun l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top