小田原
 帰り道は違う道にしてみた。小田原高校と相洋高校の間を通る道路に下りてきた私は、その道を歩き始めた。住宅地に近くなってきたが、まだ勾配のある道である。
 二つの高校を過ぎると、競輪場が現れた・元々は城があった敷地だからこそ、こういう風にいくつかの広い建物が出来たのだろう。
 少し歩くと、東海道本線と箱根登山鉄道の線路を越える橋が現れた。橋を渡ったその向こうは小田原城址公園の南端である。
 まっすぐ行かずに、脇に入ると、狭い橋がある。撮影者向けに、ロマンスカーの通過予定時刻が書かれた紙が貼ってあった。眺めていると、あと数分で上り列車が来ることがわかった。待機だ。
 やってきたロマンスカーはVSEという愛称を持つ車両だ。慌てたので微妙にずれた写真となった。こういう時は設定が容易な一眼レフの方が便利だと思ったりもする。
(FUJIFILM X100)
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2018.03.30 Fri l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小田原城
 小田原城の八幡山古郭は山城のテイストである。ひとつの城で、近世(江戸時代)と中世(戦国時代)の遺構が両方残る城跡は実は珍しい。観光向けなのは復元天守や水堀のある近世城郭の方だが、この中世の遺構も歩いていて面白いものだ。
 公園になっている曲輪跡を歩いていくうちに、大きな空堀が現れた。小峯御鐘ノ台大堀切というものだ。
 写真で伝わりにくいのが残念だが、幅も結構あり、自然の地形を生かしつつ、長く掘られてある。やはり、北条家の築城技術は凄いし面白い。そう改めて感じた。
 豊臣軍の襲来を予測して、北条家は小田原城を大改築した。町を土塁や堀で囲んだ「総構え」は後に江戸時代の城の見本となった。いわゆる城下町を堀などで囲む町作りである。
 小田原の場合、山側も防備がしっかりとられている。こうして大きな堀を作ってあったのだ。
 結果、小田原城は戦いに巻き込まれることなく、降伏開城となった訳だが、これだけの防備がとられていたのだから、攻める側も無理に攻撃できなかったのだろう。
 歩いていると、歴史サークルの人々といった男女が堀切を熱心に見学している光景に出会った。街中の近世小田原城城郭に比べると訪問者は少ないが、この八幡山古郭こそ、北条家の色が強く感じられる場所だと思った。
 それは、三島の山中城や、東京の八王子城、埼玉県の鉢形城などにも共通した、北条流の凝った城造りの真骨頂とも言えるものである。
(FUJIFILM X100)
2018.03.28 Wed l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小田原城
 城山陸上競技場から更に山を登っていく。このあたりは八幡山というそうで、小田原城の八幡山古郭などと呼ばれているようだ。
 説明版が現れた。八幡山は縄文時代の遺跡も出土されているそうで、かなり前から人が住んでいた地域なようだ。
 小田原城は北条氏が城主となる前は大森氏だった。大森氏の時代はどのあたりに主郭があったのかは諸説いろいろなようだが、やはり八幡山ではないだろうかと思える。
 北条氏は、この八幡山の曲輪群と詰城として整備したという。自然の地形を生かして広い曲輪や大きな堀を作っている。豊臣軍は二十万人の兵をもっても、結局は小田原城を落とすことは出来なかった訳だが、山側もこれほどの巨大な仕掛けが施してあるのだから当然だと思いながら歩いた。
 現在は公園として整備されているこの八幡山古郭の巨大曲輪群だが、この辺りは毒榎平(どくえだいら)という地名だそうだ。毒榎というのは、油の原料になる植物のことで、それを栽培していたということなのだろうか。
 現在は公園や浄水場となっているが、あちこちに存在するちょっとした広場の空間がすべて曲輪だったと考えると、小田原城の大きさを改めて思い知る。
(FUJIFILM X100)
2018.03.26 Mon l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
御前曲輪
 小田原駅に戻ってきた。ここからは駅の反対側、つまり山側に向かう。今回の小田原訪問の目的である「小田原城訪問」のためである。
 小田原城に行くなら、その方向は逆ではないかと思われそうだが、今回向かう小田原城とは、室町~戦国時代の方だ。戦国時代途中から北条氏によって城は拡張され、現在の位置にまで延び、町全体を堀と川と土塁で覆い、日本最大の城郭都市となった小田原だが、今回はその礎を見てみようという訳である。
 新幹線口の駅前には北条早雲こと伊勢宗瑞の銅像が立っている。小田原北条家の初代当主であり、ここ小田原を拠点として「関東に民のための国家を作る」ことを始めた人物である。
 その宗瑞さんの銅像に一礼して、山への道に向かう。道は駅前から既に急な登りである。
 右に左に曲がりながら上がっていくこと20分ほど。小田原の町を見下ろせるくらいの高さにまでやってきた。山の斜面の窪地にグラウンドが現れた。「城山陸上競技場」である。ここは小田原城の「御前曲輪(ごぜんくるわ)」があったと言われる場所だ。
 大した調査が行われないままグランドが造られてしまったので、長年御前曲輪は謎のままだった。城跡に学校や役所やグランドを建てるのは全国的な傾向で、史跡を顧みるという風潮が沸き起こるようになったのは割と最近のことらしい。今なら、そのままにしておくことだろう。
 近年、グランドの改修の機会に発掘調査を行なった結果、いくつか出土物もあったようだ。御前という名を見ると、北条家の奥方の住まいがあったのかと思ってしまうが、伸仏を祀る場所という意味だそうである。これだけの広さだから、大勢の人が集まることが出来る。祭事や出陣前に家臣たちが集う空間だったことだろう。
 小田原城の遺構が現れたことで、坂を登ってきた疲れも吹き飛び、気分は盛り上がってきた。さて、更に昇っていく。
 ※小田原城御前曲輪について
(FUJIFILM X100)
2018.03.25 Sun l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
緑町
 伊豆箱根鉄道大雄山線の緑町駅に着いた。街中に突然現れる小駅である。もちろん無人駅で、券売機も設置されていない。
 起点の小田原駅から400mしか離れていないこの駅。繁華街に行くために造られたような立地に思える。駅のすぐ横はJRの高架があり、案外騒々しい場所でもあるが、ローカルムードのある駅だ。
(FUJIFILM X100)
2018.03.23 Fri l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top