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小田原城
 写真のストックがなくなりました。なので、過去に撮った写真を紹介していきたいと思います。すでに掲載した写真と被らないようには致しますのでご了承を。
 今回の写真は三年前に小田原城に行った時の写真。小田原城にはご存知のように天守がある。そして、これは戦後に造られた「復元天守」である。正確に言うのなら、江戸期のものを忠実に再現したという訳でもないようだが、観光客のために天守は必要という事で、広く親しまれている。
 私はあまり復元天守や模擬天守(往時の姿とは違うものを造ってシンボルとするケース)は興味がないので、小田原城の天守の場合は、中の展示物に興味があったのだが、こちらはなかなか充実している。わかりやすく戦国時代の北条家から江戸時代を伝えている展示であった。
 最上階からの眺めも良い。天守は、その眺望を楽しみに来る人も多いだろうが、小田原は海と山に挟まれた町なので、眺めがとても良いのだ。おすすめである。
 その天守から西の方角を見ると、線路を挟んで向こうに小山が見える。ここも実は小田原城である。戦国時代、北条家がこの山に曲輪(くるわ)や空堀(からぼり)を築いた。
 今でもその遺構が残っていて、陸上競技場や高校がある辺りから散策できる。個人的には、ここの巨大な空堀を見ずして小田原城の魅力に触れたとは言い難いと思っている。
 この写真からでも、その片鱗は少し窺えるだろうか。小田原城とは、天守がある公園の付近を指すのではなく、小田原の中心市街から周辺の山までを指す、巨大な城郭都市だった。そういう事なのだ。
 この撮影の日は友人を伴っていたので、その山の城郭には行かなかったが、タクシーを使って近くの石垣山城に行った。豊臣秀吉が北条家攻略のために築城した城である。この石垣山城からも小田原の町がよく見下ろせる。巨大な井戸の跡も残っていて、崩れたままの大きな石垣と合わせて、戦国時代を今に伝える貴重な遺構だ。ここもおすすめである。
(SONY NEX-6 LENS:SONY E 16-50mm F3.5-5.6 PZ)
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2019.05.26 Sun l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
根府川
 あいにくの曇り空だが、ホームからは今日も海が広々と姿を見せてくれていた。
 跨線橋を上がり駅舎に向かう。根府川駅は無人駅で、駅舎もこじんまりとしている。駅前広場は一応バス停もあるが斜面の途中にある駅なので広場は狭い。
 ちょうど、温泉リゾート施設の送迎マイクロバスが停まっていた。山の向こうにあるようだが、入ったことはもちろん、現地に行ったこともない。駅前は建物も少なく、ひたすらのどかな駅である。
(iPhone5)
2018.07.31 Tue l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
根府川
 東海道本線の根府川駅はホームから海が見える駅である。夏の青い海を期待してやってきたが、今日は曇りである。
 下り列車は海側のホームに停車するのが基本だが、通過列車を退避する時は山寄りの上り列車が停まるホームの隣に停車する。そんな訳で、その上り側のホームに列車は到着した。
(iPhone5)
2018.07.29 Sun l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小田原
 帰り道は違う道にしてみた。小田原高校と相洋高校の間を通る道路に下りてきた私は、その道を歩き始めた。住宅地に近くなってきたが、まだ勾配のある道である。
 二つの高校を過ぎると、競輪場が現れた・元々は城があった敷地だからこそ、こういう風にいくつかの広い建物が出来たのだろう。
 少し歩くと、東海道本線と箱根登山鉄道の線路を越える橋が現れた。橋を渡ったその向こうは小田原城址公園の南端である。
 まっすぐ行かずに、脇に入ると、狭い橋がある。撮影者向けに、ロマンスカーの通過予定時刻が書かれた紙が貼ってあった。眺めていると、あと数分で上り列車が来ることがわかった。待機だ。
 やってきたロマンスカーはVSEという愛称を持つ車両だ。慌てたので微妙にずれた写真となった。こういう時は設定が容易な一眼レフの方が便利だと思ったりもする。
(FUJIFILM X100)
2018.03.30 Fri l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小田原城
 小田原城の八幡山古郭は山城のテイストである。ひとつの城で、近世(江戸時代)と中世(戦国時代)の遺構が両方残る城跡は実は珍しい。観光向けなのは復元天守や水堀のある近世城郭の方だが、この中世の遺構も歩いていて面白いものだ。
 公園になっている曲輪跡を歩いていくうちに、大きな空堀が現れた。小峯御鐘ノ台大堀切というものだ。
 写真で伝わりにくいのが残念だが、幅も結構あり、自然の地形を生かしつつ、長く掘られてある。やはり、北条家の築城技術は凄いし面白い。そう改めて感じた。
 豊臣軍の襲来を予測して、北条家は小田原城を大改築した。町を土塁や堀で囲んだ「総構え」は後に江戸時代の城の見本となった。いわゆる城下町を堀などで囲む町作りである。
 小田原の場合、山側も防備がしっかりとられている。こうして大きな堀を作ってあったのだ。
 結果、小田原城は戦いに巻き込まれることなく、降伏開城となった訳だが、これだけの防備がとられていたのだから、攻める側も無理に攻撃できなかったのだろう。
 歩いていると、歴史サークルの人々といった男女が堀切を熱心に見学している光景に出会った。街中の近世小田原城城郭に比べると訪問者は少ないが、この八幡山古郭こそ、北条家の色が強く感じられる場所だと思った。
 それは、三島の山中城や、東京の八王子城、埼玉県の鉢形城などにも共通した、北条流の凝った城造りの真骨頂とも言えるものである。
(FUJIFILM X100)
2018.03.28 Wed l 小田原 l コメント (0) トラックバック (0) l top