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金目川
 参拝を済ませ、近くを通る国道一号線に出た。平塚市内の市街地では大きい道路だが、金目川を渡り大磯町に入ると車線が減少し、にわかにローカル感が出てくる。
 この辺りは化粧坂という地名があり、バス停にもなっているが、次回の大磯訪問の時にじっくり回ってみたい。
 私は平塚駅に向かって歩き始めた。バスで向かってもいいが、まだ少し時間があるので徒歩で行く。三十分くらいで着く距離だ。
 金目川の上に花水橋という橋が架かっている。平塚側に行くと花水台という町名も存在する。私は土手で少し休むことにし、自販機でコーヒーを買って、橋を渡った先の土手にあった談に座った。
 高麗山は西日を受け輝いている。遠くの丹沢の山稜も美しい。のどかでいいところだ。国道がすぐそばにあるから騒々しくはあるが、のんびりと景色を眺めた。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM 27.5-83mm F2.8-4.5)
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2019.12.01 Sun l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
慶覚院
 高来神社の隣にお寺がある。神社の参道の脇からそのお寺に向かった。
 慶覚院という名のそのお寺は、高麗寺の末寺で慶長十八(1613)年に創建された。当時は大磯の別な場所にあったが、明治に起きた大火で消失し、この地に移ったとのこと。
 付近は国道一号線から奥に入った静かな場所で、高麗山を見上げる位置にある。本堂の手前にある鐘楼が印象的だった。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM 27.5-83mm F2.8-4.5)
2019.11.30 Sat l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
高来神社
 頂から石段が延びている。そこを下りると山道になり、男坂と女坂という道に分かれる。女坂を歩いて下りた。
 とはいっても、道の勾配はなかなかなもので、歩くのは決して楽ではなかった。ハイキングコースですれ違う人達が皆、疲労を顔に浮かべていたのが納得できる。高麗山ハイキングコースはなかなか大変な道である。
 やがて整備された石段が現れ、その先に神社の境内があった。
 高来(たかく)神社である。頂に上宮を構えていた高麗神社は現在高来神社として麓にのみ社を構えている。創建は古く、千年以上の歴史があると言い伝えられている。
 海を渡り日本にやってきた高句麗の人達はこの地に移り住んだが、やがて若光を始めとした王族一族も含め、皆は武蔵国に移り住んだ。現在、埼玉県の高麗川(こまがわ)という地名になっている一帯がそれである。
 神奈川県のこのあたりも高麗山を始め、麓のこの一帯も「高麗」という地名であり、いにしえの時代の歴史をその名に刻んでいる。

(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM 27.5-83mm F2.8-4.5)
2019.11.27 Wed l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
高麗山
 高麗山の頂にやってきた。ここは高麗山城の主郭でもあった場所で、古くから寺院が築かれていた場所だという。
 七世紀に高句麗の人達が日本に亡渡来した。この高麗山の頂に高麗若光を祀った高麗寺が造られた。更に高麗神社も造られた。そのような場所だけあって、頂は思ったより広い空間であった。
 江戸時代にはこの寺が権現信仰があった事から、ここに東照宮、つまり徳川家康を祀り、上野寛永寺の末寺とした。
 しかし、明治時代に入り政府によって廃寺とされてしまった。徳川家と縁が深いためだろうか。そして、麓に高来神社が造られた。
 広い空間の隅に祠があり、若光と高句麗の人達についての説明板もある。この頂の広場は今も大堂と呼ばれている。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM 27.5-83mm F2.8-4.5)
2019.11.23 Sat l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top
高麗山
 高麗山ハイキングコースは思った以上に山道であった。すれ違う人達の表情を見れば想像出来た事ではあるが、なかなか大変な道である。
 湘南平から高麗山の山頂までの道のりは1.3kmという事で、30分以上かかる距離である。木に囲まれた山道はここが城跡である事を感じにくい。多分、歩いている人の多くもそれは意識していない事だろう。案内も書かれてはいない。
 そんな事を思った頃、木橋が現れた。深くえぐられた窪地に道が寸断されているのである。「堀切」だ。ようやく城跡らしい風景が現れた。
 堀切は結構深い。あるサイトによると6メートルほどの深さがあると書かれてあった。いろんな角度から写真を撮ってみたが、その深さを表現するには下りてみるしかなさそうだ。
 更に山頂を目指して歩くと、また堀切が現れた。先ほどのものより浅いが、やはり木橋が架けられている。
 高麗山城は伊勢宗瑞(北条早雲)が築城したとされるが、それ以前に足利持氏が室町幕府と関東管領上杉氏に反旗を翻した蔡、討伐に向かった上杉持房が高麗山を本陣としたと言われる。
 堀切などの城の造成はおそらく伊勢宗瑞の時代に造られたものかと思える。急峻な山だけに堅固な城だったかと思われるが、小田原北条家の時代になってからは城として活用されなかったようだ。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM 27.5-83mm F2.8-4.5)
2019.11.20 Wed l 湘南(藤沢~二宮) l コメント (0) トラックバック (0) l top