寒川
 山北からは沼津に出ようと考えていた。函南に出て散策しようというプランを考え、更に伊東線の来宮に向かい、熱海の温泉街の古い建物を撮り歩こう。そう考えていた。
 しかし、電車の時間が合わなかった。御殿場線は昼間の本数は少ない。一時間以上間が開くこともあり、国府津行きに乗る。真鶴に久しぶりに行ってみようかと考えたのだ。真鶴から来宮に向かってもいい。しかし、小田原駅に着くと下り電車が停電トラブルで、ダイヤが乱れていることを知った。
 次の熱海方面が来るまで時間が開くようなので、再度プランを変更することにした。降りたのは茅ヶ崎駅である。
 茅ヶ崎からは相模線が出ている。以前から行ってみようかと考えていた西寒川支線の廃線跡に行ってみることにした。
 寒川駅を降りると、西口に向かった。ロータリーがある東口と比べるとこじんまりとしている。住宅街の道を線路に沿って北に歩くと、やがてそれらしき跡が見えてきた。
 相模線の線路から分かれる砂利道。道の脇には柵がある。いかにも線路があったという雰囲気である。
(SONY NEX-6 LENS:SONY SEL 16-50mm f3.5-5.6 OSS)
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2017.09.25 Mon l 高座 l コメント (0) トラックバック (0) l top
山北
 山北駅に戻ってきた。途中、沿道にある盛翁寺に立ち寄る。境内には猫が横に伸びて昼寝をしていた。暑い昼下がりだ。
 駅の南側には山北鉄道公園というものがあり、そこにはかつて御殿場線が東海道本線だった時代に活躍していたD52型蒸気機関車が保存されている。
 東海道本線は開通当初は、熱海を経由せず今のの御殿場線のルートで沼津に抜けていた。山北は山の入口駅であるので、ここで機関車が増結されていたりしたという。つまり、昔は大きな機関庫のある鉄道の要所だったのだ。
 今でも駅の周りは大きな敷地が残り、往時の賑わいを感じさせてくれる。これから訪れる温泉も、おそらく鉄道敷地の跡に建ったものだろう。
 鉄道公園の脇に真新しい建物がある。リハビリセンターなども入っている高齢者向け施設で、この中に「さくら湯」というものが入っている。
 さくら湯に来るのは二回目だ。今日はちょっとしたハイキングをしてきたので温泉日和である。中は建物同様新しく、休憩室も備える。浴槽は露天風呂もあるので、ゆっくりとくつろぐ事の出来る施設だ。
 一時間近くのんびりしたあと、山北駅に向かった。駅前はひっそりとしている。熱海線と呼ばれていた国府津~熱海間が、丹那トンネルの開通で沼津まで繋がると、熱海線ルートが東海道本線となり、国府津と沼津を結んでいたルートは御殿場線と改称されローカル線になった。
 現在の御殿場線は単線であるが、所々に複線だった東海道本線時代の遺構が残る。使われなくなったトンネル。錆びた鉄橋。そして、山北駅も山の麓のローカル駅として、静かに佇んでいる。
(SONY NEX-6 LENS:SONY SEL 16-50mm f3.5-5.6 OSS)
2017.09.24 Sun l 足柄 l コメント (0) トラックバック (0) l top
河村城
 障子堀を見て、広い芝生のような郭を歩く。この辺りには屋敷もあったらしい。
 やがて芝生が尽きると、その先に眺望が開けた。かつては、ここから小田原を見ながら、この地を守ってきたのだろうか。北条家はだいたい四里以内の間隔で城を築き、支城ネットワークというものを形成していた。ここ河村城も、矢倉沢往還(大山街道)の監視と共に、小田原と山北の防備にあたる城であったのだろう。
 私は駅の方から来たので、本来の城の入口とは違うコースを辿っていたようだが、城の大手口はこの先にあったようだ。位置的にも、こちらの方が山北駅側よりも小田原に近い。
 帰りはその大手口を通って山を下りることを一瞬考えたが、そうすると山北駅から離れてしまう。このあと山北駅前の温泉に入る予定なので、来た道を引き返すことにした。
 天正十八(1590)年の豊臣秀吉による関東制圧、いわゆる小田原合戦では関東のいろんな城が戦場となったが、ここ河村城に於ける詳細は不明だそうだ。北条家は近代的な政治系統を築いていた武家なので、記録が豊富である。それでありながら記録がないというのは不可解であり、倒した側にもそれが残っていないのは謎だ。こういう場合は、勝者が強引な攻め、つまり残虐な手段を用いた可能性もあるが、史実の流れだと、豊臣軍がこの地を通過した時期に大きな戦があったとは考えにくいようでもある。
 色々と謎もあるが、城の遺構も程よく残り、眺望もよく、公園として整備もされている(本郭のところにトイレもある)ので、ちょっとしたハイキングで訪れる人も少なくなさそうである。山北駅から三十分もあれば頂まで登れる手頃さもおすすめ。
(SONY NEX-6 LENS:SONY SEL 16-50mm f3.5-5.6 OSS)
2017.09.23 Sat l 足柄 l コメント (0) トラックバック (0) l top
河村城
 本郭をはさんで東側に郭に移動する。こちらは広々とした草地になっている。
 東側の郭との間には堀切があり、そこに橋が架かっていた。その橋を渡るとすぐに新たな橋が現れる。この橋はコンクリート製。草刈りの人達も車でここまで進入しているので、車が通れる造りにしたのだろうが、見てくれ的には味気ない。
 突如現れたコンクリートという現代物に戸惑ったが、橋の下は見事な堀切で、深くV字型に堀が切られていた。
 その堀の下は、間隔を開けて土を盛って区切られている。「障子堀」と呼ばれる機構だ。河村城は平安時代に作られた城だが、こういった遺構は戦国時代に北条氏が作ったものである。伊豆の三島、東海道を挟むように広々と位置する山中城にも障子堀がある。
 山中城はもともと東海道の関所的な城だったものを、豊臣秀吉が関東攻めを行なうという噂を聞きつけ、北条家が大改築したもので、小田原合戦最初の激戦地にもなった。そういう場所だから、山中城の障子堀はかなり大がかりな造りで、それに比べると河村城のものは小規模ではある。
 それでも、突然現れたコンクリート橋を凌ぐインパクトが、この障子堀にはあった。私はしばらく佇み眺めた。
 ちなみに、小田原合戦に於ける河村城の記録は残っていないらしい。記録の豊富な北条家に於いて、これはミステリーだが、そういう謎めいた歴史も、また魅力的である。
(SONY NEX-6 LENS:SONY SEL 16-50mm f3.5-5.6 OSS)
2017.09.20 Wed l 足柄 l コメント (0) トラックバック (0) l top
河村城
 本郭から西に移動する。森の中を歩くような道になった。尾根道ではあるのだが、起伏のある道を木に囲まれながら歩く。
 馬出郭というものが現れた。郭(くるわ)というものは、城の中に造られた、人や馬を待機させたりする場所だ。しかし、木に囲まれているせいか、郭というには平地に思えない。城だった頃は見晴らしのために木は切ってあっただろうが、地面の形も今とは違うものだったのだろうか。
 更に歩いていくと、北郭、西郭などが現れた。いずれも、それほど大きくはない。河村城の西側の郭は小規模である。
 一通り回ったあと、本郭に戻り、今度は東側に向かう。見取り図を見ると、こちらの郭は広そうだ。
(SONY NEX-6 LENS:SONY SEL 16-50mm f3.5-5.6 OSS)
2017.09.17 Sun l 足柄 l コメント (0) トラックバック (0) l top
河村城
 山の麓の登城口から山道を上がっていくと間もなく、茶臼郭という所に出た。その脇には姫井戸という井戸の跡があり、その部分は土がうず高く積もっている。ちょうど夏草の草刈りが行われており、作業者の方から声をかけていただいた。
 さらに登っていくと、階段の上に門が見えた。もちろん復元だが、こういう演出は悪くない感じがする。門をくぐろと、そこは本郭。幅は100mあるかないかだろうか。山の頂でもあるので、木々の隙間から周囲の山がよく見える。
 本郭にはトイレやベンチが設けられている。この城址は山北町によって公園として整備されているのだ。
 この本郭あたりを境にして、城の造りが二つに分かれている。まずは西側から見ていくことにする。西側は小さな郭が点在している。
(SONY NEX-6 LENS:SONY SEL 16-50mm f3.5-5.6 OSS)
2017.09.16 Sat l 足柄 l コメント (0) トラックバック (0) l top