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豊田スタジアム
 春の青春18きっぷ旅の話その2。今回からは愛知県から京都府に向かった話を。

 熱海から新幹線こだま号で浜松に向かった私は、浜松から東海道本線を乗り継いで刈谷にやってきた。
 刈谷からは名鉄三河線に乗る。大手私鉄ではあるが単線で、途中何度か対抗列車の行き違いで数分停車があった。
 豊田市駅に着くと、名古屋の中心部からやってきた豊田線の電車もちょうど着いたらしく、さして広くない改札前は大混雑になっている。ほとんどの人がサッカー観戦だろう。私もそうだ。前売りを遅く買った私はバックスタンド席完売を知り、ゴール裏自由席のチケットを持ってやってきた。
 近年、名古屋グランパスは人気が上昇し、豊田スタジアムは満員状態が増え、名古屋市内にある瑞穂陸上競技場での試合は今季完売が続いている。
 駅からスタジアムまでは1km以上離れているが、沿道はグランパス関連の飾りつけが施され、商店が集客アピールに忙しかった。駅前から既に非日常な風景となっていた訳だ。
 スタジアムに入ると、そのスケールに圧倒された。話には聞いていたが、上の席からピッチを見下ろすと、かなりの傾斜を感じる。最上段に近い場所しか空いていなかったので、そこに座った。
 周囲は家族連れと若いカップルが多い。駅までの道もそんな印象だった。私の前にはいくつかの家族が合同で観に来ているようで、賑やかで楽しそうだ。子供はグッズに身を包み声援を送っている。
 名古屋グランパスの攻撃的なスタイルが如何なく発揮され、前半から点がよく入る。後半はアウェイ側に移動し、コンサドーレ札幌サポーターの後ろで観戦した。一階席からだと視界がまた違って見える。その大きさは圧倒的だ。
 さて、今夜の宿は岐阜である。雨が降ってきたので寄り道はせず、再び刈谷に戻った私は各駅停車でのんびりと岐阜に向かった。
(SONY NEX-6 LENS:SONY E 16-50mm F3.5-5.6 PZ)
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2019.04.24 Wed l 神奈川県以外 l コメント (0) トラックバック (0) l top
結城
 土浦から常磐線で友部に出て、水戸線に乗り換えた。目指すは結城である。結城で降りるのは初めてだ。
 左窓に筑波山を眺めながら、午後の暖かな陽に包まれた結城駅に着いた。ロータリーは大きいが駅前から延びる道路は細く、商店街というほど店は多くない。だが、歩いていくうちに店が増えて、かつて結城藩の藩庁が置かれた町としての賑わいの面影が現れてきた。
 私が向かっているのは結城城だ。町はずれの台地にあるようだが、駅からは遠い。推定40分と見込んで歩き始めたが、途中で道を間違えたりしたため、一時間ほどかかって到着。
 城址は公園になっている。城址に辿り着くまでの道がゆるい上りになっており、公園の裏は台地の下の広大な畑である。
 隣接する神社に参拝して、本丸跡の公園を歩いてみるが、特筆するようなこともない。一応説明版はあるが、それ以外に歴史を感じさせる遺構はほとんどないように思えた。
 結城城は室町時代に結城合戦の舞台となり、戦国時代は小田原合戦以降、徳川家康の次男が結城家に養子に入って結城秀康と名乗った。そういう歴史のある地である。
 城址のある台地は住宅地となっており、開発によって遺構の多くは失われたように思えた。しかし、公園の入口に空堀らしき窪地があった。説明板が立っており、やはり空堀だとわかる。その空堀に沿って住宅地を回ってみた。
 竹藪のような林の中に空堀は続いていく。歩いていくうちに公園の入口に戻ってきた。なんてことはない散策だが、城の遺構が見られたので満足だ。
 帰りは別の道を選択した。そこは格子戸の店や、蔵の残る店など、江戸時代の雰囲気が残る道だった。想像していたよりも旅情が感じられる町で、妙に観光地化していないのが、情緒溢れる景色に繋がっているのかもしれない。
 来てよかったと思いながら、夕方の日差しの中を水戸線で小山に向かい、帰路に就いた。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM(135判換算27.5-83mm F2.8-4.5)
2019.04.21 Sun l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
土浦城
 今回から少しの間、春の青春18きっぷ旅の話になります。旅の雰囲気を簡潔にまとめるため、組写真となり一枚あたりの圧縮度が高まり画質が劣化しますが、ご了承ねがいます。

 常磐瀬に乗って土浦にやってきた。正月に関東鉄道竜ヶ崎線に乗った帰りに土浦に寄り道して以来で、今年二回目の訪問である。
 前回、時間がなくて土浦城に行けなかったので、今回は場所を地図で確認してからやってきた。
 土浦城は町中にある。江戸時代からこの地域を代表する町だったので、その面影はほのかに残っている。城が近づくにつれて細い小路が現れ、かつての隆盛が偲ばれる風景となってきた。むろん、今は他の地方都市がそうであるように、商業施設の中心は町中から郊外に移っている。
 平安時代に平将門の砦として築かれたという伝承がある土浦城。文献上では、若泉氏に始まり、菅谷氏の城となり、小田原合戦後は結城氏、松平氏、朽木氏を経て土屋氏の城となった。
 土浦の町が水害にあった時、水に浮かぶ姿が亀の甲羅に似ていたことから「亀城」という呼び名もある。
 現在は公園となっているが、入口の霞門と、その奥の本丸前に設けられている櫓門は江戸時代のものである。櫓は戦後復元されたものだが、この門はさすがに風格があった。
 公園として整備され、横には博物館。敷地にはミニ動物園もある。市民の憩いの場といったところで、実際、散歩をしている市民が多数いた。町中にある城ならでは
といった感じである。
 城を見たあとは、常磐線の線路寄りに移動し、サイクリングロードに転用された筑波鉄道の廃線跡の入口を見てから駅に向かった。ここからは常磐線と水戸線に乗り継いででいく。
(PENTAX Q LENS:PENTAX 02 STANDARD ZOOM(135判換算27.5-83mm F2.8-4.5)
2019.04.20 Sat l 神奈川県外の戦国史跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top
長井
 長井の漁港から公営住宅を抜けて、小田和湾に沿って歩き始める。このまま国道に出て、長井バス停から横須賀中央駅までのバスに乗ろうと決めた。
 荒崎公園から長井バス停までも結構ある。一時間くらい歩くつもりでいたが、さすがに疲れてきた。
 この辺りは長井でもっとも家の多いエリアで、細い道路には車の通行も多い。富浦公園にさしかかったので、公園の中を歩くことにした。ここは小田和湾がよく見える。
 浜には小学生の女の子たちが水遊びをしている。サッカーの練習をしている男の子もいる。女子高生が岸壁に上り、浜にある廃墟のような建物の上を目指している。
 少し浜で海を眺めたあと、国道を目指した。バスはすぐにやってきた。乗車率は結構いい。林や武山や衣笠の集落を抜けて、上町の商店街を抜けると横須賀中央駅だ。
 駅に着くと、だいぶ陽は傾き、夜が近づいていた。ここからは京急の電車に乗って帰るだけである。
(SIGMA DP2)
2019.04.17 Wed l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (0) トラックバック (0) l top
長井
 荒崎公園を出て、荒崎バス停の方に向かい歩く。途中、住吉神社に立ち寄り参拝。児童公園のような小さな公園の奥にある。静かな神社だった。
 荒崎バス停に着いたが、まだ時間はあるので歩く事にした。バスが走る細い海岸線に沿って行く。
 このあたりは小さな漁港がいくつかあり、集落も漁村の風景だ。わかめを干す台が浜にある。のどかで黄昏の風景がよく似合う海岸だ。
 長井の集落の中心に近いところまで来た。風景はのどかだが、家はそれなりに多い。
 (SIGMA DP2)
2019.04.16 Tue l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (0) トラックバック (0) l top
荒崎
 今回の訪問で知った事だが、ここ荒崎にはかつて城があったという。案内板によると、三浦一族の三浦荒次郎義澄の居城と伝わるそうだ。
 城の名ははっきりとしていないようだが、便宜的に長井城と呼ばれているようだ。
 どんどん引きの脇にそびえる「潮騒の丘」という隆起した丘は城山と呼ばれており、ここが城址らしい。丘の下は岩が切り立った崖で、海側から攻められる事はない地形だ。
 三浦一族である長井氏の居館があったとも言われ、築城は三浦義明の五男である長井五郎義季と言われる。また、宝治合戦で三浦一族が滅亡したのち、佐原盛時の弟である佐原光盛の子孫がここに在城したという話もあるなど、この長井城に関しては様々な説が唱えられている。
 いずれにしても、鎌倉時代前後に何らかの形でここに城が築かれ、歴史を刻んできたのだ。三浦半島の中世史が語られる機会は少ないが、三浦一族の歴史を始め、鎌倉幕府や、のちの室町幕府の関東管領(かんとうかんれい)の与えた影響など、三浦半島にも語るべき歴史は少なくない。
 今は風光明媚な公園となっている荒崎も、かつては城址だったなんて、歴史浪漫を感じる話である。
(SIGMA DP2)
2019.04.13 Sat l 横須賀西部(相模湾側) l コメント (0) トラックバック (0) l top